南画・文人画家

谷文晁門下四哲のひとり・立原杏所

2019/11/27  

立原杏所 左:「蘆雁図」、右:「葡萄図」(重文) 立原杏所(1785-1840)は、水戸彰考館総裁・立原翠軒の長男として水戸下市横竹隈に生まれた。杏所の号は邸内にあった杏の木によったという。画をはじめ ...

大正新南画の中心作家として活躍した湯田玉水

2019/10/21  

湯田玉水「往而到何處図」 湯田玉水(1879-1929)は、明治12年、福島県南会津郡田島町(現在の南会津町)に生まれた。田島は明治の廃藩置県で福島県になったが、かつては幕府の直轄地で、北関東と商業的 ...

喜多方美術倶楽部の結成と小川芋銭

2019/10/17  

小川芋銭 左:「水虎と其眷属」、右:「若葉に蒸さるる木精」 藩制時代から政治・文化の中心だった会津の北方に位置する喜多方地方は、商人の町として栄え、明治末から大正期にかけては、当時わが国を代表する画家 ...

12歳で体験した戊辰戦争を語り伝え、「白虎隊自刃之図」を描いた佐野石峰

2019/10/10  

佐野石峰「白虎隊自刃之図」 会津に生まれた佐野石峰(1857-1942)は、幼いころから藩の北素読所に入って漢学を修め、のちに橋爪助次郎、福田為之進に詩文を学んだ。明治4年に青森県の三ノ戸学校に入学、 ...

遠藤香村に師事し、晩年は東京で活動した渡辺東郊

2019/10/9  

渡辺東郊「唐子図」 渡辺東郊(1848-不明)は、会津若松城下屋敷町に生まれた。祖父光蔵は、武をもってきこえ、特に柔術をよくし、屋敷内に修練所を設けて多くの青年を薫陶していた。しかし、東郊は、生来虚弱 ...

復古大和絵を学び、のちに谷文晁門下の高久靄厓の後を継ぎ、大和絵と南画を融合した画風を確立した高久隆古

2019/10/8  

高久隆古「蘭亭曲水図」栃木県立博物館蔵 高久隆古〔高隆古〕(1810-1858)は、文化7年に忍城下(現在の埼玉県行田市)に阿部家の家臣・川勝隆任の子として生まれた。阿部家は三河以来の徳川家譜代大名と ...

豊麗な「牡丹画」のスタイルを完成させ、特に「牡丹に孔雀図」を得意とした野出蕉雨

2019/10/7  

野出蕉雨「孔雀牡丹図」 会津若松城下の武士の家に生まれた野出蕉雨(1847-1942)は、画を好み、15歳ごろから同じ会津藩士である塩田牛渚について南画を学んだ。藩主・松平容保が京都守護職として在任中 ...

浦上春琴に師事し長崎三画人にも学んだ塩田牛渚

2019/10/4  

塩田牛渚「花鳥図屏風」 会津藩の世臣の子として生まれた塩田牛渚(1828-1866)は、少年の頃には小姓として会津藩主・松平容敬に仕えていたが、幼いころから絵を描くのが好きで、専門絵師になるため、藩士 ...

豪放で酒を好み、「朝寝朝酒朝湯が大好き」な小原庄助さんのモデルと伝えられる会津塗師久五郎の面倒をみた町絵師・蒲生羅漢

2019/9/24  

蒲生羅漢 左:「八仙図」、右:「蘭亭曲水図」 白河の郷土絵師・蒲生羅漢(1784-1866)は、天明4年に白河に生まれた。この年は松平定信が白河藩主についた年で、その後定信の強い影響下で白河の近世画壇 ...

白雲、巨野泉祐同様に松平定信に見出されて谷文晁の門に入り、師譲りの幅広い画域の作品を手掛けた白河藩絵師・星野文良

2019/9/20  

星野文良 左:「林和靖」、右:「花鳥図」 白河藩絵師・星野文良(1798-1846)は、16歳の時に江戸詰めとなり、八丁堀の白河藩邸に住み、藩主・松平定信の命を受けて谷文晁の門に入った。享和3年には、 ...




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