南画・文人画家

京都御所に花鳥画を描き名を高めた吉田公均

2022/8/1  

吉田公均「金碧西園雅集図」富山市立郷土博物館蔵 吉田公均(1804-1876)は、越中江上村(現在の富山県中新川郡上市町)の農家に生まれた。幼いころから画才を発揮し、それを認めた近所の住職の勧めで、1 ...

昭和前期に官展で活躍した新潟の南画家・白倉嘉入と横尾深林人

2022/6/6  

白倉嘉入「連山雲烟」 昭和前期に官展(帝展、新文展、日展)に出品した新潟出身の主な南画家としては、ともに小室翠雲に学び、ともに日本南画院の同人をつとめた白倉嘉入と横尾深林人がいる。 新発田市出身の白倉 ...

南画の近代化の一翼をになった田村豪湖

2022/4/25  

田村豪湖「赤壁之図」 田村豪湖(1873-1940)は、南魚沼郡中之島村(現在の新潟県南魚沼市)の農家の四男として生まれた。幼いころから絵を描くことが得意で、7歳の時に病により片足が不自由になったこと ...

上海領事館に勤務しながら南画を研究した大倉雨村

2022/4/18  

大倉雨村「早春之図」 大倉雨村(1846-1899)は、新潟町(現在の新潟市)の医師・大倉良庵の子として生まれ、幼いころから地元の絵師・松尾紫山に画を学んだ。父の没後は江戸に出て、さらに長崎に行き鉄翁 ...

頚城の異色南画家・東洋越陳人と磯野霊山

2022/4/13  

東洋越陳人「山水図屏風」 越後国中頸城郡三和村(現在の上越市)の農家に生まれた東洋越陳人(1836-1916)は、7歳の時に荻野退治の塾に入り経史を学んだ。漢詩の暗誦と習字が得意で、子どもとは思えない ...

新潟への最初の外国船渡来を描いた井上文昌

2022/4/11  

井上文昌「新潟湊之真景」 井上文昌(1818-1863)は、新潟町(現在の新潟市)で代々町役人をつとめていた井上家に生まれ、江戸の谷文晁に入門し、文晁の高弟・遠坂文雍(1783-1852)に画を学んだ ...

幕末の新潟町で中心的な画人として活躍した行田魁庵

2022/4/8  

行田魁庵「新潟入船之図」 新潟神明宮の神官の子として生まれた行田魁庵(1812-1874)は、幼いころから絵を好み、新潟の町絵師・志賀北洋に手ほどきを受けたのち、一ノ木戸村の神明宮神官で従兄にあたる行 ...

佐渡奉行所の絵図師をつとめた石井夏海・文海父子

2022/4/1  

石井夏海「鍾馗」 佐渡国相川の郷宿を営む家に生まれた石井夏海(1783-1848)は、幼いころから画を好み、15歳の時に地元の絵師・吉村蘭秀に学び、ついで江戸に出て紀南嶺、谷文晁の門に学んだ。また、司 ...

北越戊辰戦争に参戦し自刃した勤皇の画家・村山半牧

2022/3/28  

村山半牧「山水図屏風」 越後国蒲原郡三条町(現在の新潟県三条市)に生まれた村山半牧(1828-1868)は、幼いころから画才を発揮し、17、8歳頃から父の郷里である小須戸町村の書塾で教えながら、墨竹な ...

長谷川嵐渓とともに幕末の越後画壇の双璧と称され多くの門人を育成した富取芳斎

2022/3/24  

富取芳斎「八木鼻之雪景」 富取芳斎(1808-1880)は、地蔵堂(現在の燕市)で酒造業や米穀問屋を営んでいた豪商の家に生まれ、9歳で五十嵐華亭に師事し、19歳の時に華亭の勧めで京都に出て中林竹洞につ ...




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