UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま北関東地方を探索中。

「南画・文人画家」 一覧

豪放で酒を好み、「朝寝朝酒朝湯が大好き」な小原庄助さんのモデルと伝えられる会津塗師久五郎の面倒をみた町絵師・蒲生羅漢

白河の郷土絵師・蒲生羅漢(1784-1866)は、天明4年に白河に生まれた。この年は松平定信が白河藩主についた年で、その後定信の強い影響下で白河の近世画壇は一気に花開いていく。定信は才覚があれば一介の ...

白雲、巨野泉祐同様に松平定信に見出されて谷文晁の門に入り、師譲りの幅広い画域の作品を手掛けた白河藩絵師・星野文良

白河藩絵師・星野文良(1798-1846)は、16歳の時に江戸詰めとなり、八丁堀の白河藩邸に住み、藩主・松平定信の命を受けて谷文晁の門に入った。享和3年には、近江石山寺に伝わる「石山寺縁起絵巻」の補完 ...

白河藩御用絵師として城内障壁画や肖像画の制作をはじめ各種写生記録を手掛けた巨野泉祐

白河城下に生まれた巨野泉祐(1774-1837)は、16歳の時に仕官し、白河藩校・立教館容儀師範の手付となり、はじめて絵の御用に携わった。寛政7年には松平定信に画才を認められ、谷文晁に入門。寛政9年に ...

日本全国の古文化財を記録した『集古十種』の編纂に携わり真景図を数多く手掛けた画僧・白雲

画僧・白雲の出生地は確かではないが、福島県の須賀川付近だと考えられている。須賀川十念寺で得度し、江戸に出て桜井雪館から漢画を学び、ついで京都で四条派を学んでいる。伊勢寂照寺経蔵の建設資金調達のため全国 ...

白河藩主・松平定信に仕え、西洋画法を用いて「公余探勝図巻」を描いた江戸南画の大成者・谷文晁

江戸南画の大成者として知られる谷文晁は、第三代白河藩主・松平定信の生家である徳川御三卿・田安家の家臣だったが、寛政4年、31歳の時に幕府老中在任中の定信付きの家臣となった。以後、定信との親交は公私にわ ...

琴の奏者として会津を訪れた近世南画の大家・浦上玉堂と会津藩の音楽方として生きた二男の秋琴

岡山藩の支藩・鴨方藩士の子として岡山城下に生まれた浦上玉堂(1745-1820)は、藩務のかたわら、儒学や医学・薬学といった学術、詩作や七絃琴といった芸術の分野にも関心を示し、特に七絃琴に関しては演奏 ...

京都で活躍した庄内出身の南画家・服部五老と二柳

鶴岡に生まれた服部五老は、京都で田能村直入に師事し、日本南画院の同人として活躍した。全盛時は、橋本関雪、竹内栖鳳らと並び称され、画の注文が殺到したという。豪壮な邸宅に住み、生活は豪奢を極め、来客が絶え ...

長崎南画を源流に持つ寒河江の日本画家

明治期の寒河江地方の日本画家の源流をたどると、長崎南画の鉄翁祖門に行きつく画系がある。その始まりは、小泉の長泉寺十一世住職の土田鉄船(1812-1879)で、長崎まで行って鉄翁に南画を学んでいる。その ...

山形画人として最も多くの作品を残したとされる小松雲涯

中山町の農家に生まれた小松雲涯は、幼いころから画を好み、14、5歳で画家を目指すようになった。はじめ同郷の服部武陵に画技を学び、のちに江戸に出て春木南溟に師事した。明治20年、56歳で帰郷した後は見崎 ...

日本画革新運動のなかで日本的南画の開拓に尽力した菅原白龍

現在の長井市に生まれた菅原白龍は、9歳頃から『北斎漫画』を見て独学し、11歳の時に初めて長沼月峰、渡辺玄渓について南画を学んだ。その後家出して江戸に行き熊坂適山に師事、その後も長井と江戸を往復しながら ...

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