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呉春に学んで一家を成した大坂長堀の佐藤魚大
2024/9/20
佐藤保大(二代魚大)「狐行列」 佐藤魚大(不明-不明)は大坂の人で、呉春に学んで一家を成し、山水人物を得意とした。子にはともに画人の保大と守大がおり、保大は父の号を継いで二代魚大となり、明治期にも活躍 ...
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春挙に学び師風とは異なる多様な作品を残した柴田晩葉
2023/10/2
柴田晩葉「江州盆踊」 柴田晩葉(1885~1942)は、滋賀県大津市新町に生まれた。父の孟教は、江戸の昌平坂学問所に学んだ漢学者で、水野忠弘が朝日山藩に転封された際、藩の儒者として藩主に伴って近江を訪 ...
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福井の奇祭「馬威し」の絵で知られた菱川師福
2023/6/2
菱川師福「絹本馬威図掛軸」 江戸時代半ばから福井城下で行われていた「馬威し」(または左義長馬)は、左義長に関連する小正月の行事で、旧暦の正月14日、馬に乗って桜門から城外に向けて疾走する武士たちを、町 ...
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光瑤門下の異色画人・本郷越嶺と新湊の画人
2022/9/20
本郷越嶺「祭の山車」 本郷越嶺(1900-1970)は、富山県射水郡新湊町(現在の射水市)に生まれ、富山県立工芸学校図案科に入学した。同級生には漆芸家の山崎覚太郎がいた。在校中は開校以来の画才の持ち主 ...
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太夫と才蔵が面白おかしく掛け合いをする「会津万歳」をこよなく愛し、万歳の画家とも呼ばれた坂内文石
2021/7/6
坂内文石「会津万歳図」 猪苗代湖畔の湊村に生まれた坂内文石(1865-1930)は、14歳の時に本郷の陶画師・水野雪渚に絵の手ほどきを受け、師の勧めで本郷焼の陶画の仕事に就いた。さらに四条派の遠藤霞村 ...
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仙台藩士で俳人の遠藤曰人が描いた「ぼんぼこ祭図」
2021/7/6
遠藤曰人「ぽんぽこ祭図」仙台市博物館蔵 仙台の重要な祭礼のひとつに、陸奥国分寺に隣接する白山神社の「ぼんぼこ祭」がある。これは、秋の東照宮、大崎八幡宮の両大祭に拮抗する、春の城下の代表的祭礼で、伊達以 ...
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平尾魯仙門下で三上仙年と双璧とされた工藤仙乙
2021/7/6
工藤仙乙「七福神遊戯之図」正伝寺蔵 平尾魯仙の門人で、三上仙年と並び称されたのが工藤仙乙(1839-1895)である。仙乙は、幼いころから画を好み、長年魯仙の元で画を学び、その技量は三上仙年を凌ぐとも ...
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弘前藩絵師・今村家
2021/7/6
伝今村養淳惟慶「弘前八幡宮祭礼図」のうち茂森町山車「大根山」(部分) 弘前藩のお抱え絵師・今村家の初代・今村朴元常慶(不明-1729)は、少年期に京都から江戸に出て、狩野常信の門に入り絵を学んでいたと ...
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平沢屏山の門人・木村巴江ら明治のアイヌ絵師
2021/7/6
木村巴江「蝦夷神祭之図」 平沢屏山の弟子といわれる絵師に木村巴江(不明-不明)がいる。函館水元の水茶屋の主人だったとも、理髪業を営んでいたとも伝わっている。経歴などは不明だが、屏山に学び、筆勢は及ばな ...
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富岡鉄斎が描いたイオマンテ
2021/7/6
富岡鉄斎「旧蝦夷風俗図屏風」(右隻)東京国立博物館蔵イオマンテ(クマ送りの儀礼)が描かれており、物語の流れとしては、画面中央右隅にいる5、6人の男たちによる「イナウ削り」から始まり、ついで画面下部にイ ...