狩野派

豊後府内に住み、沈堕の滝を描いた雪舟

2021/7/6  

狩野常信「鎮田滝図」(模本)京都国立博物館 雪舟等楊(1420-1506)の前半生については不明な点が多く、若いころに京都に出て相国寺の春林周藤に禅を学び、僧としての修業のかたわら、如拙や周文の画を学 ...

豊後杵築藩絵師・光琳派の足立秋英

2022/3/30  

足立秋英「牡丹孔雀図屏風」大分県立美術館蔵 中津藩と同じく杵築藩でも狩野派の藩絵師の存在は確認できない。時代は下るが、杵築藩第九代藩主・松平親良(1810-1891)が狩野勝川に、藩絵師の足立秋英(1 ...

豊後日出藩の狩野派

2021/7/6  

安藤梅峯「富士図」大分県立美術館蔵 豊後三賢の一人にかぞえられる儒者・帆足万里(1778-1852)らを輩出した日出藩は文教の地として知られるが、その基礎は、第三代藩主・木下俊長(1648-1716) ...

豊後府内藩の狩野派

2021/7/6  

二代木崎隆川「白水瀧図 」大分県立美術館蔵 府内藩は現在の大分市・由布市の大部分と別府市の一部を支配していた藩で、府内の名はこの地におかれた豊後国府に由来する。鎌倉時代に入ると、大友氏が支配し、21代 ...

大分の近世絵画・狩野派

2021/7/6  

初代木崎隆川「勿来関図」 二豊(豊後と豊前の一部)の近世絵画は、18世紀までの狩野派の時代と、19世紀に入ってからの南画の時代に分けられる。江戸幕府で御用絵師をつとめ、地方でも勢力を強めていた狩野派は ...

肥後狩野の祖・狩野成信

2021/7/6  

狩野成信「源氏物語図屏風」六曲一隻(部分) 熊本城築城の際に、初代藩主・加藤清正が狩野派の絵師を招き入れ障壁画を描かせたことによって熊本での狩野派の活動がはじまったが、寛永9年、加藤氏の改易によって細 ...

矢野派の再興者・矢野雪叟

2021/7/6  

矢野雪叟「旭日に猛禽図」 三代茂安の時代に衰退していった細川家御用絵師・矢野家だが、茂安の養子・矢野雪叟(1714-1777)が四代目を継ぐと、牧谿や雪舟など和漢の古画の模写などを通じて雪舟流の画風を ...

唐絵目利石崎家初代・石崎元徳らを輩出した小原慶山の画系

2021/7/6  

小原慶山「雪中梅図」 初期の長崎画壇に大きな影響をあたえた小原慶山(不明-1733)は、丹波に生まれ、京都を経て江戸に出て狩野洞雲に学んだ。その後、長崎に移り住み河村若芝に師事した。作品には雪舟派や狩 ...

肥前佐賀藩の絵師たち

2021/7/24  

葉山朝湖「楼閣山水図屏風」佐賀県立博物館蔵 肥前佐賀藩においては、初代藩主・鍋島勝茂、三代・綱茂、八代・治茂の代に比較的多くの絵師の名前がみられる。しかし、藩御用絵師の世襲、または門人らによる画風の継 ...

筑後柳河藩御用絵師・梅沢晴峩と北島勝永

2021/7/6  

梅沢晴峩「鷹摶撃雁図」 柳河藩においては、江戸初期から中期にかけての文書や書画類が多く焼失しており、御用絵師の存在を確認できるのは江戸後期になってからである。それ以前の柳河藩には、福岡藩の尾形家や久留 ...




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