狩野派

雲谷派が祖となった筑後久留米藩御用絵師・三谷家

2021/7/24  

左:三谷等哲「山公倒載図」右:三谷等哲「福禄寿図」 安芸国広島に生まれた雲谷派の三谷等哲(不明-1630)は、主家の断絶とともに浪人となり、子の等悦とともに筑後の久留米に移住した。久留米藩二代藩主・有 ...

福岡藩御用絵師尾形家の絵師

2021/7/14  

尾形洞水「魚族図」 尾形家は、6代洞谷(1753-1817)の代になって、師家を鍛冶橋狩野家から駿河台狩野家に変更した。また、姓を公式に小方から尾形に改めたのも洞谷の代だった。7代の洞霄(1791-1 ...

狩野探幽門下四天王と称された尾形家2代守義と狩野姓を許された3代守房

2021/7/24  

小方守房(狩野友元)「仏涅槃図」長円寺蔵 福岡藩の御用絵師はすべて狩野派で、尾形家、衣笠家、上田家の3家が代々世襲で家督を継いだ。他にも、熊本氏、小森氏、佐伯氏、笠間氏など一代限りまたは随時に抱えられ ...

筑前福岡藩御用絵師となった狩野宗家中橋家の狩野昌運

2021/7/6  

狩野昌運「競馬図」絵馬 狩野宗家中橋家で組織の確認と整備を図り、宗家の大番頭と称されていた狩野昌運(1637-1702)は、筑前福岡藩の第4代藩主・黒田綱政に招かれ、晩年の10年余りを福岡藩御用絵師と ...

橋本秀峰ら鳥取の狩野派の絵師

2021/7/9  

左:橋本秀峰「野馬図」、右:二熊一笑「大江山図」 鳥取藩士だった橋本秀峰(1796-1883)は、文芸や書にも広く通じ、江戸の藩務のかたわら鍛冶橋の狩野探淵に師事し、野馬図を得意とした。鳥取出身で、は ...

根本幽峨と鳥取の門人

2021/7/9  

根本幽峨「琴棋書画図」 鳥取城下の商家に生まれた根本幽峨(1824-1866)は、江戸に出て沖一峨の門人となり狩野派の画法を修め、藩の御用絵師となった。多数の模本を残すとともに屏風や掛軸など多くの作品 ...

鳥取藩御用絵師・沖一峨と沖家

2021/7/9  

左:沖一峨「旭日鶴亀図」、右:沖探容「牡丹に鳥図」 初代鳥取藩主・池田光仲は、寛文6年に木挽町狩野家の門人だった沖清信を江戸詰絵師として登用した。当時は江戸幕府の体制が整い、政情も落ち着き、各藩も幕府 ...

駿河台狩野に学んだ津和野藩御用絵師・岡野家六代

2021/7/9  

岡野洞淵(不明-1759)は駿河台狩野の開祖・狩野洞雲益信の門人だったが、津和野藩主・亀井氏のお抱え絵師となり、その後岡野家は六代に渡って津和野藩に仕えた。第三代の岡野洞山美高(1770-1856)は ...

木挽町狩野に学んだ雲州狩野派の画人たち

2021/7/9  

出雲の狩野派は、狩野永雲の画系が途絶えたのち、時代が下って木挽町狩野の狩野伊川院栄信に学んだ飯島雲岳(不明-不明)が御用絵師として文化年間に活躍、雲州狩野派屈指の妙手と称された。また、松江西山家四代の ...

出雲松江藩御用絵師・狩野永雲とその画系

2021/7/9  

狩野永雲「春秋花鳥図」島根県立美術館蔵 出雲国では、徳川家康の孫にあたる松平直政が寛永15年に松江に入り、松江藩初代藩主となった。松江藩の絵師としては、直政が越前時代に召抱えられたとみられる大田弥兵衛 ...




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