UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま北関東地方を探索中。

「狩野派」 一覧

徳島藩船絵師・森崎家と資料

森崎家は、徳島藩蜂須賀家に仕えた狩野派の絵師だったが、森崎桃春・春潮父子の時に、蜂須賀斉昌の意向で住吉派に転向した。その森崎家が伝えてきた粉本類が、徳島県立博物館に「森崎家資料」として収蔵されており、 ...

木挽町狩野家と徳島藩の画人

徳島藩御用絵師では、佐々木家の佐々木養郭をはじめ、矢野栄教、河野栄寿らは、幕府御用絵師の狩野派のうち最も繁栄したとされる木挽町狩野家の当主・狩野栄川院典信に学んだ。またその後も、記録でわかる限りすべて ...

徳島藩御用絵師の系譜・佐々木家

江戸時代になると世情も落ち着き、町絵師も多く出たが、徳島藩・蜂須賀家は将軍家にならい狩野派の画人を御用絵師とした。御用絵師の家系で最も古いのは佐々木家で、元禄頃に始まったとみられる。佐々木家については ...

紀南田辺の狩野派・真砂幽泉

紀南田辺で活躍した狩野派の画人としては、真砂幽泉がいる。近世の田辺では、医者や学者らが余技として画を描くものはいたが、師系のはっきりした画人としては幽泉のほかはみあたらない。幽泉は、十代の頃、京都の鶴 ...

狩野興以にはじまる紀伊狩野の系譜

紀伊国における狩野派の系譜は、狩野光信に師事した狩野興以(不明-1636)がはじまりとされる。興以は師である光信の没後、光信の弟・孝信の子である探幽、尚信、安信の三兄弟を教育し大成させたことにより、狩 ...

尾張の狩野派・町狩野

町狩野とは、幕府や藩には所属せずに市井に門をはった狩野派のことで、尾張の吉川家は御用絵師・清野養山の門から吉川知信が出て以来、幕末まで町狩野として家系を続けた。また、木挽町狩野養川院惟信の門人である岩 ...

尾張の狩野派・代々続く御用絵師

尾張藩主は代々、教養のひとつとして狩野派の技法を学び、狩野派の画人を御用絵師として召し抱えていた。19世紀の後半からは、神谷姓を名乗る二家系が御用絵師の列に加わり、幕末までその任にあった。神谷養朔、神 ...

尾張の狩野派・初期画人

尾張におけるまとまった絵画制作は、名古屋城の障壁画制作にはじまった。この制作には、当時の狩野派の主流であった画人たちが多く参加した。尾張関係の狩野派の初期画人としては、加賀了順、伊島牧斎、清野一幸らが ...

南画一色の東三河画壇で異彩を放った狩野派・加藤元白

渡辺崋山以降、南画一色となった東三河地方で、狩野派を学んだ異色の存在として、加藤元白がいる。元白は砥鹿神社南部に位置する八名郡橋尾村に生まれ、京都に出て狩野派に学び、京都画壇で未来を嘱望されながらも、 ...

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