yuagariart

江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

尾張南画の草創期

2024/12/30  

丹羽嘉言「神洲奇観図」 名古屋を中心とする尾張地方の南画は、江戸中期の明和年間に始まり、幕末・明治に至るまで多彩な展開をみせた。日本南画の創始に重要な役割を果たした彭城百川(1697-1752)も名古 ...

庶民の姿や風俗を描いた尾張藩士・高力猿猴庵

2024/12/30  

高力猿猴庵「御鍬祭図略」 高力猿猴庵「見世物つくし」 江戸が華やかな庶民文化に湧いていた江戸時代後期、名古屋城下においても文化的繁栄の時代を迎えていた。賑やかな祭りや華やかな行列が街を彩り、芝居、見世 ...

尾張の狩野派・町狩野

2024/12/30  

狩野派「梨木禽鳥図屏風」(部分)興正寺蔵 町狩野とは、幕府や藩には所属せずに市井に門をはった狩野派のことで、尾張の吉川家は御用絵師・清野養山の門から吉川知信が出て以来、幕末まで町狩野として家系を続けた ...

尾張の狩野派・代々続く御用絵師

2024/12/30  

神谷晴真「花車図」建中寺蔵 尾張藩主は代々、教養のひとつとして狩野派の技法を学び、狩野派の画人を御用絵師として召し抱えていた。19世紀の後半からは、神谷姓を名乗る二家系が御用絵師の列に加わり、幕末まで ...

尾張の狩野派・初期画人

2024/12/30  

清野一幸「釈迦三尊図」 尾張におけるまとまった絵画制作は、名古屋城の障壁画制作にはじまった。この制作には、当時の狩野派の主流であった画人たちが多く参加した。尾張関係の狩野派の初期画人としては、加賀了順 ...

南画隆盛から異色の日本画家を生む土壌へ

2024/12/29  

疋田芳沼 左:矮鶏図、右:山間旅人図 隆盛を極めた東三河の南画だが、明治中期をひとつのピークに、やがて衰退していく。閉塞した郷土画壇を去り、京都や東京の画壇に活路を見出そうとする次代の画家たちも出てき ...

南画一色の東三河画壇で異彩を放った狩野派・加藤元白

2024/12/29  

加藤元白「山水積雪之図」 渡辺崋山以降、南画一色となった東三河地方で、狩野派を学んだ異色の存在として、加藤元白がいる。元白は砥鹿神社南部に位置する八名郡橋尾村に生まれ、京都に出て狩野派に学び、京都画壇 ...

崋山・椿山の画風を継いだ最後のひと・白井烟嵓

2024/12/29  

白井烟嵓「雨後」 従兄の白井永川から南画の手ほどきを受けた白井烟嵓は、その後上京して崋椿系南画の流れを汲む松林桂月に学び、戦前・戦後を通じて中央画壇で活躍した。平成14年には田原市博物館で「崋山・椿山 ...

小華が去った後の豊橋画壇

2024/12/29  

左:夏目泰果「鳳来寺山之図」、右:白井永川「孔雀図」 明治15年に渡辺小華が上京した後の豊橋画壇は、小華の直弟子である大河戸晩翠、森田緑雲、植田衣洲らが引き継いで盛り立てた。曲尺手町の呉服屋「八星」で ...

東三河における小華門(2)

2024/12/29  

大河戸晩翠「秋窓清供図」 大河戸晩翠(1845-1921)おおこうど・ばんすい 弘化2年2月12日吉田指笠町生まれ。真宗高田派願成寺の住職・福沢諦聞の四男。名は挺秀、幼名は霊台、字は守節。別号に梅笠、 ...

東三河における小華門(1)

2024/12/29  

渡辺小華「花鳥図」 明治7年に渡辺小華が豊橋に移り住み、従来の石峰・文笠一門であった画家たちも南画一色となり、小華門は最盛期を迎える。小華門下では、遠江の山下青厓、豊橋の深井清華、大河戸晩翠、稲田耕山 ...

崋椿系が根付く前の東三河画壇(2)

2024/12/29  

鈴木拳山「竹鶏図」 鈴木拳山(1842-1915)すずき・きょざん 天保13年宝飯郡下地村(現在の豊橋市)生まれ。名は潜、字は子龍。前号に龍雨または成道がある。嘉永5年頃から稲田文笠の門で学び、のちに ...

崋椿系が根付く前の東三河画壇(1)

2024/12/29  

左:恩田石峰「西王母図」、右:稲田文笠「寿帯鳥図」 後に絶大な勢力となる崋椿系が根付く前の東三河では、円山・四條派を学んだ恩田石峰や原田圭岳、そして谷文晁に学んだ稲田文笠らが中心的な画人だった。ほかに ...

東三河随一の画人・太田山陰

2022/8/12  

太田山陰「五百羅漢尊像」 江戸中期に赤坂(現在の豊川市)で活躍した太田山陰は、当時、東海道第一の画人と称されており、東三画人伝には「文化・文政以前における東三河地方随一の画家は山陰であろう」と記されて ...

近世の東三河画人

2024/12/29  

大須賀鬼卵「騎馬武者図」 江戸前期の東三河画人としては、元禄年間に久世出雲守が吉田藩主だった頃にお抱え絵師として横田養休がいた。抱六町辺(現在の花園町付近)に住んでいたと言われ、喜見寺のや吉田神社の絵 ...

大正から昭和初めにかけての遠州画人

2024/12/29  

前田靄斎「青緑山水図」 大正から昭和初めにかけて、山下青厓ら崋椿の流れをくむ渡辺小華門下をはじめ、遠州に縁のあった川村雨谷門下や、松林桂月門下、小室翠雲門下、竹内栖鳳門下など様々な師系の日本画家が活躍 ...

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