- UAG美術家研究所 >
- yuagariart
yuagariart
江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま滋賀県を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま兵庫県を探索中。
2021/7/6
横山惟義「東方朔図」東方朔とは、中国の前漢時代に武帝に仕えた文学者のことで、仙女の西王母の桃を食べたことから800歳にも及ぶ長寿を得たとの伝説がある。 飫肥藩の絵師としては、天保の頃、横山惟儀(不明- ...
2021/7/6
狩野永諄「出山仏」臨済宗妙心寺派大光禅寺蔵「出山仏」とは、雪山(ヒマラヤの異称)を出る釈迦のことで、雪山で6年間の苦行を試みたが、苦行では悟りを開くことができないという考えに至った釈迦が下山する様を描 ...
2021/7/6
安田甫行(利忠)「竹鶴図」宮崎県立美術館寄託(個人蔵) 高鍋藩では、安田義成(不明-1696)を初代とする安田家が、代々世襲で御用絵師をつとめた。初代義成は、木挽町狩野家の狩野尚信の門人だったが、高鍋 ...
2021/7/6
中原南渓「山水図」都城市立美術館蔵 中原南渓(1830-1897)は、都城領主・島津久静の命により、鹿児島の狩野派・能勢一清に師事し狩野派の画法を学んだ。長峰探隠以来の名手とされ、久静のお抱え絵師とな ...
2021/7/6
長峰探隠「竹林七賢」都城市立美術館寄託(個人像) 18世紀初めまでは、都城に数多くの絵師の名前が残っているが、18世紀中頃から19世紀前半の間に名前が見られるのは、山路探定(1728-1793)と長峰 ...
2021/7/6
永井慶竺「百猿図」宮之城町歴史研修センター寄託(個人蔵) 都城には竹之下信成と同時代の絵師として永井実益(1637-1696)がいた。系図によると実益の父・利挙は二度結婚しており、一人は能賢の弟子・湛 ...
2021/7/6
竹之下信成「和田合戦の図」都城市立美術館寄託(城市立明道小学校蔵) 都城島津家の絵師たちは、ほとんど狩野派に学んでいるが、白谷卜斎にやや遅れて出た内藤等甫(不明-1664)、竹之下信成(1639-16 ...
2021/7/6
白谷卜斎画・長峰探隠模写「豊太閣図」 宮崎の美術の中で、まず最初に狩野派の絵師として登場するのが、都城藩の白谷卜斎(不明-1658)である。白谷卜斎は都城領主・北郷忠能に仕え、文録の頃、京都に出て狩野 ...
2024/4/10
荒井龍男「過失に於ける歓喜への頌歌」目黒区美術館蔵 昭和に入ると、それまで官展中心だった大分県出身の洋画家のなかでも、在野団体で個性的な作品を発表し、名をなす者が出てきた。荒井龍男(1904-1955 ...
2021/7/6
片多徳郎「秋果図」 明治40年に開設された文展に大分県出身の洋画家として初めて入選したのは豊後高田市出身の片多徳郎(1889-1934)だった。片多は、東京美術学校在学中の明治42年、第3回文展に「夜 ...
© 2024 UAG美術家研究所 Powered by AFFINGER5