yuagariart

江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

会津に初めて西洋画法を伝えた遠藤香村

2021/7/6  

遠藤香村「西洋喫茶図」 南大戸村香塩(現在の会津若松市)の農家に生まれた遠藤香村(1787-1864)は、幼いころから画を好み、会津藩絵師・田村観瀾に狩野派を学んだとされるが、経歴には不詳な点が多い。 ...

幼いころから亜欧堂田善の実家に出入りし一番弟子となった遠藤田一

2021/7/6  

遠藤田一「佃島南望之図」 須賀川加治町の商家・恵比須屋に生まれた遠藤田一(1765-1834)は、幼いころから絵を好み、隣町で染物屋を営んでいた亜欧堂田善の実家に出入りし、田善や兄の永田崑山に絵の手ほ ...

亜欧堂田善に師事した須賀川派の洋風画家・安田田騏

2021/7/6  

安田田騏「象のいる異国風景図」 実用的銅版画を完成させ、洋風画家として名を成した亜欧堂田善の出現によって、須賀川地方を中心に、田善の影響を受けながら洋風画の画業を受け継ぐものたちが出てきた。これらの画 ...

実用的銅版画を完成させた須賀川の洋風画家・亜欧堂田善

2024/12/11  

亜欧堂田善「両国図」絹本油彩 洋風画の開拓者・平賀源内(1728-1780)が秋田藩を訪れた際に、小田野直武(1749-1780)、佐竹曙山(1748-1785)に西洋画法を伝えて「秋田蘭画」が誕生し ...

豪放で酒を好み、「朝寝朝酒朝湯が大好き」な小原庄助さんのモデルと伝えられる会津塗師久五郎の面倒をみた町絵師・蒲生羅漢

2021/7/6  

蒲生羅漢 左:「八仙図」、右:「蘭亭曲水図」 白河の郷土絵師・蒲生羅漢(1784-1866)は、天明4年に白河に生まれた。この年は松平定信が白河藩主についた年で、その後定信の強い影響下で白河の近世画壇 ...

白雲、巨野泉祐同様に松平定信に見出されて谷文晁の門に入り、師譲りの幅広い画域の作品を手掛けた白河藩絵師・星野文良

2021/7/6  

星野文良 左:「林和靖」、右:「花鳥図」 白河藩絵師・星野文良(1798-1846)は、16歳の時に江戸詰めとなり、八丁堀の白河藩邸に住み、藩主・松平定信の命を受けて谷文晁の門に入った。享和3年には、 ...

白河藩御用絵師として城内障壁画や肖像画の制作をはじめ各種写生記録を手掛けた巨野泉祐

2021/7/6  

巨野泉祐 左:秋草図、右:月中之龍図 白河城下に生まれた巨野泉祐(1774-1837)は、16歳の時に仕官し、白河藩校・立教館容儀師範の手付となり、はじめて絵の御用に携わった。寛政7年には松平定信に画 ...

日本全国の古文化財を記録した『集古十種』の編纂に携わり真景図を数多く手掛けた画僧・白雲

2021/7/6  

白雲「会津津川冬景図巻」(部分) 白雲「会津津川冬景図巻」(部分) 画僧・白雲の出生地は確かではないが、福島県の須賀川付近だと考えられている。須賀川十念寺で得度し、江戸に出て桜井雪館から漢画を学び、つ ...

白河藩主・松平定信に仕え、西洋画法を用いて「公余探勝図巻」を描いた江戸南画の大成者・谷文晁

2024/12/11  

谷文晁「公余探勝図」巻下 第3図(重文)松平定信が近海防衛のため、寛政5年に伊豆・相模方面の沿岸を巡見した時に、同行した谷文晁が描いたもの。西洋的な遠近法をとりいれ、実際の景色を忠実に写すことを主眼と ...

第三代白河藩主・松平定信の画事

2021/7/6  

松平定信「花鳥図」江戸東京博物館蔵 寛政の改革で知られる松平定信(1758-1829)は、八代将軍徳川吉宗の孫として江戸城内の田安邸に生まれ、17歳で白河藩松平家の養子となった。天明3年には白河藩の家 ...

琴の奏者として会津を訪れた近世南画の大家・浦上玉堂と会津藩の音楽方として生きた二男の秋琴

2021/7/6  

浦上玉堂「山紅於染図」重文 岡山藩の支藩・鴨方藩士の子として岡山城下に生まれた浦上玉堂(1745-1820)は、藩務のかたわら、儒学や医学・薬学といった学術、詩作や七絃琴といった芸術の分野にも関心を示 ...

狩野探幽門下四天王のひとり、会津藩御用絵師・加藤遠澤

2021/7/6  

加藤遠澤「富岳図」 会津藩絵師の加藤遠澤(1643-1730)は、幼いころから雪舟の画風を志し、保科正之が会津藩主になった際には茶坊主となり、藩絵師の棚木良悦に絵の手ほどきを受けた。19歳で狩野探幽に ...

会津・三春で活動した戦国時代の奇想の画僧・雪村周継

2021/7/6  

雪村周継「呂洞賓図」重文 大和文華館蔵 雪村周継は、伊藤若冲や曾我蕭白に代表される「奇想の画家」の元祖とも称される戦国時代末期の画僧で、大胆な構図と奇態な人物描写で知られている。比較的多くの作品が残っ ...

広大な土地を自ら耕し自給自足の生活を理想とした京都大原の画仙人・小松均

2024/12/11  

小松均「赤富士」 山形県大石田町に生まれた小松均(1902-1989)は、画家を志して18歳の時に上京、新聞配達をしながら川端画学校に通って日本画を学んだ。大正13年第4回国画創作協会展に入選、これが ...

岸田劉生とともに「日本人としての油絵」を追求した椿貞雄

2024/12/11  

椿貞雄「菊子座像」平塚市美術館蔵 米沢市に生まれた椿貞雄(1896-1957)は、幼いころから絵画に親しみ、18歳の時に画家を志して上京、その後まもなく岸田劉生(1891-1929)の個展を見て感銘を ...

「もうひとりの鮭の画家」と呼ばれた酒田洋画の先駆者・池田亀太郎

2021/7/6  

左(作品1):池田亀太郎「塩鮭」中(作品2):池田亀太郎「川鱒図」右(作品3):高橋由一「鮭」 日本近代洋画の開拓者として知られる高橋由一(1828-1894)は、鮭の画家とも称され、多くの鮭図を描い ...

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