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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2022/7/1
阿部展也(1912-1971)は、新潟県中蒲原郡五泉町(現在の五泉市)に生まれ、生後まもなく小須戸町の母の実家に預けられ祖父母のもとで育ち、学齢期の7歳になって東京の両親に引き取られた。 その後、中学 ...
2022/6/29
昭和に入ってからの日本の洋画界は、ヨーロッパの美術動向を敏感に反映し、昭和6年に独立美術協会が、昭和11年には新制作派協会(現在の新制作協会)が結成されるなど、新たな美術団体の誕生が相次ぎ、そうした在 ...
2022/6/27
戦前から戦後にかけて活躍した新潟県出身の官展系の洋画家としては、光風会の笹岡了一、新保兵次郎、大桃寛、小島清雄、一水会の安宅乕雄、示現会の創立に参加した清水敦次郎らがいる。 笹岡了一(1907-198 ...
2022/6/24
新潟市沼垂で味噌の醸造業を営む家に生まれた峰村リツ子(1907-1995)は、高等女学校を卒業後、大正14年頃に上京し、太平洋画会研究所に学んだ。昭和3年から二科展と一九三〇年協会展に出品し、児島善三 ...
2022/6/22
佐藤哲三(1910-1954)は、新潟県長岡市に生まれ、ほどなく父親の実家があった新発田市に移った。4歳の時に脊椎カリエスを患ったため3年遅れで小学校に入学し、15歳で尋常高等小学校を卒業した。東京美 ...
2022/6/20
金子孝信(1915-1942)は、新潟市の宮司の家に生まれた。生家は代々蒲原神社の宮司をつとめる家柄で、父親は神職のかたわら国学を修め、書、和歌などもたしなむ教養人だった。金子は、幼いころから好んで絵 ...
2022/6/17
新潟市に生まれた粛粲寶(1902-1994)は、洋画家を志して上京し、白馬会洋画研究所で黒田清輝について学び、水島太一の名前で帝展などに出品したが、のちに小林古径に師事して日本画に転じた。 日本画家と ...
2022/6/15
新潟県北蒲原郡水原町(現在の阿賀野市)に生まれた三浦文治(1906-1994)は、大正15年に上京して東京美術学校日本画科に入学した。同期には、東山魁夷、橋本明治、加藤栄三、山田申吾という戦後の日本画 ...
2022/6/13
新潟県佐渡郡河崎村両尾(現在の両津市)に生まれた恩田耕作(1896-1974)は、高等小学校を卒業後、農業に従事するかたわら、明治の中頃に佐渡に流れてきた日本画家・藤祥雲について画を学んだ。 大正8年 ...
2022/6/10
院展(日本美術院主催)で活躍した新潟出身の日本画家としては、大正期までは小林古径ひとりの存在が際立っていたが、昭和に入ってからは、小島丹漾、中島萬木をはじめ、多くの新潟出身の日本画家たちが院展を舞台に ...
2022/6/8
昭和期の官展(帝展、新文展、日展)で活躍した新潟出身の日本画家としては、佐々木林風、岩田正巳、三輪晁勢をはじめ、南画家の白倉嘉入、横尾深林人のほか、岩淵芳華、村山徑らがいる。 岩淵芳華(1901-19 ...
2022/6/6
昭和前期に官展(帝展、新文展、日展)に出品した新潟出身の主な南画家としては、ともに小室翠雲に学び、ともに日本南画院の同人をつとめた白倉嘉入と横尾深林人がいる。 新発田市出身の白倉嘉入(1896-197 ...
2024/12/14
三輪晁勢(1901-1983)は、新潟県三島郡与板町(現在の長岡市)に生まれた。父三輪大次郎が小山正太郎の不同舎に学んだ洋画家だったことから、幼少期から画に親しんだ。大正2年に父が日本画に転じて京都に ...
2022/6/1
岩田正巳(1893-1983)は、新潟県南蒲原郡裏館村(現在の三条市)に眼科医の長男として生まれた。教養人だった父は、医業のかたわら漢詩をたしなみ、愛山と号して水墨画を描いていた。正巳もその影響で、歴 ...
2024/12/14
蕗谷虹児(1898-1979)は、新潟県新発田市出身の両親の駆け落ち先(水原町と推測されている)で生まれた。父が20歳、母が15歳の時だった。父親は地方新聞の記者をしていたが、酒の失敗から新聞社を転々 ...
2022/5/27
新潟県古志郡上組村(現在の長岡市)に生まれた川上四郎(1889-1983)は、長岡中学校を卒業後に上京、東京美術学校西洋画科に入学して藤島武二らに学んだ。上級生に岡本一平、池辺鈞、藤田嗣治、田中良らが ...