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日本の可愛いもの文化の元祖とされる松本かつぢ
2024/12/14
松本かつぢ(1904-1986)は、兵庫県神戸市に生まれ、小学4年の終わりに家族とともに上京し神田猿楽町に住んだ。夏目漱石も出た名門・錦華小学校に転校し、同校卒業後は立教中学に進学、在学中から雑誌のカ ...
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故郷姫路の風物やそこで暮らす人々を画面いっぱいに描いて異彩を放った丸投三代吉
2024/5/13
丸投三代吉(1911-1991)は、兵庫県飾磨郡広村ノ内広畑(現在の姫路市広畑区)に生まれた。小学校時代に近所の画家に画の手ほどきを受け、卒業後に画家を志したが叶わず、農業を手伝うかたわら美人画、肖像 ...
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木、布、金属などを使ったアッサンブラージュで知られた杢田たけを
2024/5/10
杢田たけを(1910-1987)は、兵庫県豊岡市に生まれた。家業の鉄工所を手伝いながら、はじめ小泉勝爾に日本画を学び、その後洋画に転じた。昭和10年第5回独立美術協会展で初入選し、同会会員の須田国太郎 ...
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芦屋市美術協会の創立に参加し芦屋市展の発展につとめた伊藤継郎
2024/5/8
伊藤継郎(1907-1994)は、大阪市に生まれ、16歳の時から松原三五郎が主宰する天彩画塾に学び、同塾閉鎖後は赤松麟作が主宰する赤松洋画塾(のちに赤松洋画研究所と改称)に入った。のちに鍋井克之を知り ...
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姫路洋画壇の発展に尽くした尾田龍
2024/5/6
尾田龍(1906-1992)は、兵庫県姫路市に生まれた。県立姫路中学校卒業後に上京して東京美術学校に学び、在学中から二科展や1930年協会展に入選を果たした。昭和15年からは国画会展に出品し、昭和27 ...
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神戸の街並みに魅せられ異人館を描き続けた小松益喜
2024/5/3
小松益喜(1904-2002)は、高知県土佐郡旭村(現在の高知市)に生まれた。上京して東京美術学校に学び、在学中にプロレタリア美術家同盟に参加した。卒業後は高知に帰り、再度上京を決意して東京に向かう途 ...
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プロレタリア美術運動の中心的存在として社会や政治に向き合った岡本唐貴
2024/5/1
岡本唐貴(1903-1986)は、岡山県浅口郡連島村(現在の倉敷市)に生まれた。大正9年に画家を志して移り住んだ神戸で浅野孟府と出会い、二人で上京して彫刻家の戸田海笛のアトリエに寓居して彫刻と洋画を学 ...
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典雅清澄な人物表現が多くの愛好家に支持された小磯良平
2024/12/11
小磯良平(1903-1988)は、兵庫県神戸市に生まれ、兵庫県立第二神戸中学校(現在の県立兵庫高校)に学んだ。同校には、上級生に古家新、田中忠雄、同級生に竹中郁ら美術好きな仲間がおり、のちに詩人となっ ...
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生涯を通じて少女をモチーフとした三谷十糸子
2024/12/14
三谷十糸子(1904-1992)は、兵庫県加古郡(現在の高砂市)の医師の子として生まれた。兵庫県立第一高等女学校卒業後は女子美術専門学校(現在の女子美術大学)日本画科に学び、同校卒業後は京都に移り、西 ...
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二紀会の創立に参加し日本洋画壇の中心的存在として活躍した田村孝之介
2025/8/6
田村孝之介(1903-1986)は、大阪船場に生まれ、17歳の時に上京して太平洋画会研究所に学び、翌年帰郷して小出楢重に師事した。大正13年、小出らによって信濃橋洋画研究所が創設されると、開所と同時に ...
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終戦後の新生日本美術を樹立するため行動美術協会の創立に参加した榎倉省吾
2024/4/22
榎倉省吾(1901-1977)は、兵庫県加東郡小野町(現在の小野市)に生まれた。苦学しながら絵画を学び、姫路歩兵第39連隊に入隊したのちに美術展に出品をはじめ、昭和3年に第5回槐樹社展、第2回全関西洋 ...
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関西水彩画会を創立し水彩画普及につとめた別車博資
2024/4/19
別車博資(1900-1976)は、兵庫県神戸市に生まれた。県立工業高校で教鞭をとるかたわら、油彩、水彩画を独習し、特に三宅克己が著した水彩画の技術書によって学んだ。また、哲学に深い関心を持ち、西田幾多 ...
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兵庫県内各地の風景を描き続けた辻愛造
2024/4/17
辻愛造(1895-1964)は、大阪市に生まれ、はじめ湯川松院に日本画を学んだが、大正のはじめ頃から赤松麟作について洋画を学んだ。さらに上京して太平洋画会研究所で学び、巽画会洋画部や日本美術院展洋画部 ...
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京都洋画壇で活躍し広告画図案も手掛けた池田治三郎
2024/4/15
池田治三郎(1888-1966)は、兵庫県神戸市に生まれ、京都に出て関西美術院で鹿子木孟郎(参考)に学んだ。的確なデッサンと堅実なリアリズムを習得し、門下のなかでも注目される存在だったという。 大正元 ...
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水彩風景画や墨画、モノタイプを応用した版画などで詩情豊かな作品世界を作り上げた中村忠二
2024/4/12
中村忠二(1898-1975)は、兵庫県飾磨郡御立村(現在の姫路市)に生まれた。小学校卒業後は郵便局に勤務し、大正4年に大阪に出た頃から芸術に憧れるようになり、20歳の時に上京して翌年日本美術学校に入 ...
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神戸に洋画研究所を設け後進の指導にあたった林重義
2024/4/11
林重義は、京都市立絵画専門学校で日本画を学んだのち洋画に転じ、鹿子木孟郎に師事しました。昭和5年パリから帰国し二科展で滞欧作を展示しましたが、同年二科を脱退して独立美術協会の結成に参加しました。終生神戸に住み、洋画研究所を設立して後進の指導にあたりました。