画人伝・京都 画僧・武人 中国故事

明兆に学んだのち独立したとみられる画僧・霊彩

霊彩「寒山図」重文 大東急記念文庫蔵

霊彩「寒山図」重文 大東急記念文庫蔵

京都・東福寺の画僧・吉山明兆は、工房的な組織を率いていたと思われ、画技の弟子として霊彩、赤脚子、一之、鎌倉の仲安真康らの名が知られている。

弟子のひとりと目される霊彩(不明-不明)は、詳しい伝記はほとんで伝わっていないが、「脚踏実地」という印章の文字が、明兆の別号である「破草鞋」の印章を意識したものであるとされることから、明兆のもとで仏画を中心に学んだあと独立して活動した画僧であると推測されている。

また、「涅槃図」(山梨・大蔵経寺蔵)を描いたことは落款から判明しており、『李朝実録』によると、寛正4年に九州探題・渋川教直の外交使節に随行して朝鮮に渡り、朝鮮国王・世祖に「白衣観音図」を献上したとなっている。

掲載の「寒山図」は、戦前のコレクター・原三渓の所蔵品として著名で、当時から「風吹き寒山」の通称で知られていた。戦後、三渓のコレクションは散逸し、幾人の手を経たのち大東急記念文庫に収蔵されることとなった。

霊彩(不明-不明)れいさい
室町中期の画僧。明兆に師事したと思われ、明兆系の仏画・道釈画を描いた。確実とされる作品は10点に満たない。代表作に「涅槃図」「寒山図」などがある。

赤脚子(不明-不明)せっきゃくし
室町中期の画僧。霊彩同様に明兆の別号「破草鞋」と同形の印章を用いていることや、作品に建仁寺の古心慈柏や東福寺の愚極礼才の賛があることから明兆一派の画人であるとされている。明兆や霊彩と混同されることも多い。10点ほどの作品が確認されている。

一之(不明-1394)いっし
京都・東福寺の画僧で、江蔵主と称した。明兆に師事したとされる。一之作とされる「白衣観音図」がある。『古画備考』には鎌倉建長寺の僧とする記載もある。

京都(13)-画人伝・INDEX

文献:本朝画史、日本美術全集9、日本の美術12 周文から雪舟へ、原色日本の美術11水墨画




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