秋田県本庄市に生まれた加藤雪窓は、幼いころに父母を失い、11歳の時から祖父に育てられた。絵は10歳のころから小室怡々斎に手ほどきを受け、書を大越関石に学んだ。祖父は雪窓の才能を高く評価し、雪窓を伴いよりよい師匠を求めて放浪の旅に出るが、酒田に滞在中に死去したため、雪窓は酒田に定住するようになった。
その後有志の後援によって上京、橋本雅邦に入門した。東京では、各種展覧会で受賞を重ね頭角を表し、日本画会創立記念美術展覧会に出品した「薪炭読書図」「釣艇夕照図」は宮内省買い上げとなった。また、黄檗宗の高僧・紫石禅師と親交し、黄檗祖師像の模写も行なった。師の没後は酒田に戻り、今町の観音小路に住み、画業に励むかたわら、漢学者の須田古龍らと親交を深め詩文もたしなんだ。
加藤雪窓(1872-1918)かとう・せっそう
明治5年秋田県本庄生まれ。加藤久道の子。本名は達也。別号に達聞郷、蔵鷺軒がある。明治15年、祖父久恒と各地を放浪の末酒田今町に移住した。その後上京して橋本雅邦に師事。のち各地を遊歴し、黄檗宗の紫石禅師と交わり、黄檗祖師像の模写を行なった。師の没後は酒田に戻った。詩文にもすぐれ、尚友会を主宰した。大正7年、47歳で死去した。
山形(28)-画人伝・INDEX
文献:酒田市史史料篇第7集、院展にみる山形の美術100年、酒田市立資料館開館20周年記念図録、庄内の美術家たち、郷土日本画の流れ展