鳥取藩士だった橋本秀峰(1796-1883)は、文芸や書にも広く通じ、江戸の藩務のかたわら鍛冶橋の狩野探淵に師事し、野馬図を得意とした。鳥取出身で、はじめ秀峰に学んだ大岸探海(1819-1868)は、江戸に出て鍛冶橋の狩野探淵に学び、のちに鳥取藩御用絵師となった。そのほか狩野派の絵師としては、はじめ狩野の画法を学び、のちに好んで男女の姿を諧謔的に描いた二熊一笑(1792-1857)や、京都の狩野永常の門人となり御即位式大典の御襖を描いた森岡永眠(1766-1822)らがいる。
橋本秀峰(1796-1883)
寛政8年生まれ。鳥取藩士・林淇園の二男。同じく鳥取藩士だった橋本家の養子となった。通称は斧蔵。父の淇園は衣川長秋に歌を学び、香川景樹とも親交があった。父の薫陶を受けた秀峰も同じく風流を好み、歌書画をよくした。歌は父及び中島宜門に学び、主に守雄と名乗った。書ははじめ住山龍斎に、のちに松野神谷に学んだ。画ははじめ鳥取の息吹惟広に学び、のちに江戸の藩務のかたわら鍛冶橋狩野探淵に師事した。弘化3年の鳥取城二ノ丸新築にあたっては屏風を描いた。明治2年に隠居し、風月を友として余生を送った。明治16年、88歳で死去した。
大岸探海(1819-1868)
文政2年生まれ。鳥取の人。鳥取藩御用絵師。はじめ橋本秀峰に学び、孤峰と称した。長じて江戸の鍛冶橋の狩野探淵の門人となった。安政4年、鳥取藩御用絵師となった。慶応4年、50歳で死去した。
二熊一笑(1792-1857)
寛政4年鳥取生まれ。幼いころに狩野派を学んだが、江戸に出てさまざまな画風を研究して一機軸を案じ、戯画を得意としるようになったと伝わる。時期は不明ながらのちに茶禿となり、鳥取の立川町萬屋横丁に住んだという。安政4年、66歳で死去した。
森岡永眠(1766-1822)
明和3年生まれ。京都の狩野永常の助手となり、御即位式大典の御襖を描いた。屈指の金具彫刻の名人と称された。文政5年、57歳で死去した。
鳥取(3)-画人伝・INDEX
文献:藩政時代の絵師たち、鳥取縣書画百藝名人集