中林竹洞に学んだ阿波ゆかりの画人としては、京都在住の藩士の家に生まれた藤重春山(1828-1895)がいる。春山は阿波の蜂須賀家に出入りしていた御用町人で、笛の名手として宮中の儀式に招かれたこともあった。明治維新のころ徳島に移住し、多くの門人を育てた。作品はあまり見つかっていないが、阿波の名勝を描いたものとして、現在の阿南市長生町の石門公園あたりを描いた「津峰石門図」や海部郡海陽町平井にある滝を描いた「轟滝図」が徳島県立博物館に収蔵されている。
藤重春山(1828-1895)ふじしげ・しゅんざん
文政11年京都生まれ。家は京都在住の藩士。名は常師。はじめ左衛門、のちに与四郎と称した。別号に後素亭がある。画を中林竹洞に学んだ。横笛の名手でもあり、宮中の儀式に招かれたこともあった。明治2年に徳島東佐古に帰って多くの門人を育てた。明治17年の第2回内国絵画共進会に出品している。祖先は樽井姓で三代樽井与四郎藤重は塗師の名人だった。その藤重をとって以後姓とした。四代藤重与四郎より藩に仕えた。明治28年、68歳で死去した。
岡部春谿(1836-不明)おかべ・しゅんけい
天保7年生まれ。徳島佐古の人。名は厚平。岡部嘉一郎の子。藤重春山に師事して南画を学んだ。明治17年第2回内国絵画共進会に出品した。
小沢春雷(1846-不明)おざわ・しゅんらい
嘉永元年生まれ。徳島富田浦の人。名は四方。小沢奇嶂の子。藤重春山に師事して南画を学んだ。明治17年第2回内国絵画共進会に出品した。
小寺春翠(1866-1918)こでら・しゅんすい
慶応2年生まれ。徳島中通町の人。名は義太郎。藤重春山に師事して南画を学んだ。古画臨模をよくした。大正11年、53歳で死去した。
木内春園(1869-不明)きうち・しゅんえん
明治2年生まれ。名はシケル。佐古の人・木内屯の娘。藤重春山に師事して南画を学んだ。明治17年第2回内国絵画共進会に出品した。
徳島(9)-画人伝・INDEX
文献:阿波画人名鑑