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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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八重山蔵元絵師・喜友名安信(毛裔氏安信)

2021/7/6  

首里王府時代、久米島、宮古島、八重山の離島には「蔵元」とよばれる王府の出先機関があり、絵師たちはその蔵元に勤務し、さまざまな仕事をこなしていた。主な業務としては、蔵元館内の視察の際の記録、異国舶来航の ...

丸木位里・俊が描いた「沖縄戦の図」

2021/7/6  

1974(昭和49)年、沖縄県は世界の恒久平和と全沖縄戦没者の霊を慰めることを目的に、6月23日を「慰霊の日」と制定した。ただ、この日は沖縄戦が終結した日ではなく、南西諸島防衛のために陸軍に創設された ...

我謝盛保(毛世輝)をはじめとした南宗画の流れを汲む絵師

2021/7/6  

王朝末期になると、以前のような華やかな画風は影をひそめ、我謝盛保(毛世輝)、豊平良全(馬執宏)ら南宗画の流れを汲む画家たちが出てくる。さらに、廃藩置県後の沖縄は社会的に混乱し、庶民の生活も苦しくなり、 ...

琉球王国最後の宮廷画家・佐渡山安健(毛長禧)

2021/7/6  

佐渡山安健(毛長禧)は、王朝時代最後の絵師として活躍した。父の佐渡山安懿(毛光山)は三司官毛光国佐渡山親方安春の弟で、書家であり漢学者だった。名門の子として生まれた安健は、幼いころから当時の画家の第一 ...

葛飾北斎が描いた「琉球八景」

2024/12/11  

15世紀初めに誕生した琉球王国は、中国との冊封関係の中で独自の文化を育んできたが、1609(慶長14)年にあった薩摩藩の琉球侵攻により幕藩体制に組み込まれることとなり、徳川将軍や琉球国王の代替わりのた ...

風俗画を得意とした泉川寛英(慎思九)と泉川寛道(慎克熙)

2021/7/6  

琉球文化の黄金期といわれた18世紀は、琉球絵画の全盛期でもあり、中国に留学した絵師たちが活躍した。彼ら王府の絵師たちが描き続けたのは、中国の画題による山水、花鳥、人物などが中心で、琉球独自の風物や風俗 ...

歴代画家の最高位である紫官に叙せられた小橋川朝安(向元瑚)

2021/7/6  

小橋川朝安(向元瑚)は首里に生まれ、幼いころから屋慶名政賀に師事して絵画を学び、尚穆王時代の1767年に19歳で絵師として採用されて王府に勤務した。1797年以後に使者として中国に渡っており、その時に ...

座間味庸昌の後継者・屋慶名政賀(呉著温)

2021/7/6  

屋慶名政賀(呉著温)は、首里に生まれ、幼いころから画家を志し、座間味庸昌(殷元良)に学び、22歳で貝摺奉行所の絵師となった。師の庸昌は、宮廷画家として王宮御用の鑑賞絵画を描いていたが、政賀の所属する貝 ...

琉球文化の黄金期を代表する宮廷画家・座間味庸昌(殷元良)

2021/7/6  

座間味庸昌(殷元良)は、琉球絵画を代表する宮廷画家の一人である。庸昌の時代は、琉球文化の黄金期といわれ、現在に伝わる沖縄の伝統文化のほとんどがこの時期に培われた。劇作家の玉城朝薫、文学者の平敷屋朝敏、 ...

孫億に学んだ宮廷画家・山口宗季(呉師虔)

2021/7/6  

石嶺伝莫、上原真知に継いで、第二次派遣として1704年に福建省福州に留学したのが宮廷画家の山口宗季(1672-1743)である。福建省に滞在中は、中国伝統の写生画法を学び、4年間の留学を終えて帰国、そ ...

琉球絵師を指導した福建画壇の画家・孫億

2021/7/6  

17世紀後半から18世紀にかけて、琉球王府は、貝摺奉行所の絵師を薩摩藩や中国の福建省福州に派遣し、現地の画家から直接指導を受けさせた。中国に絵画留学した初の琉球絵師は、石嶺伝莫(1658-1703)と ...

琉球絵師として最初に名を残した自了(城間清豊)

2021/7/6  

琉球絵画は、13世紀に伝来した仏教文化に刺激を受けて発達したと考えられている。王国時代には、王府の行政機構に「貝摺奉行所」という部署があり、ここに絵師も所属して、漆器や着物の図案、室内装飾に携わってい ...

セザンヌを日本に初めて紹介した有島生馬と二科会の発足

2024/12/11  

有島生馬(1882-1974)は、横浜市生まれだが、父親が薩摩川内市の出身で、鹿児島の画家との関わりは深い。文学者の兄・有島武郎、弟・里見弴とともに、有島三兄弟としても名高い。有島は東京外国語学校イタ ...

鹿児島洋画壇の黄金期をつくった山下兼秀と谷口午二

2021/7/6  

鹿児島市に生まれた山下兼秀(1882-1939)は、東京美術学校では師の黒田清輝に可愛がられ、周囲からは白馬会研究所を継ぐものと思われていたが、ヨーロッパ留学を目前にしていたころ、母親が急逝したため、 ...

もうひとりの鹿児島洋画の先覚者・時任鵰熊

2021/7/6  

鹿児島洋画壇の祖・大牟礼南島の2年後に東京美術学校の西洋画科を卒業したのが、もうひとりの鹿児島洋画の先覚者と称される時任鵰熊(1874-1932)である。時任は、鹿児島で教師をしていたが辞職して上京、 ...

鹿児島洋画壇の祖と称される大牟礼南島

2021/7/6  

鹿児島出身の画家で、はじめて油彩画を描いたのが床次正精、はじめて正式に技術を学んだのが曽山幸彦、そしてはじめて本場西洋で学んだのが黒田清輝であり、ついで藤島武二、和田英作と日本近代洋画を代表する洋画家 ...

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昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

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