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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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盛岡藩重臣の北家に仕えた狩野派・湯川家

2019/7/17  

盛岡藩重臣の北家に仕えた湯川玉流、玉泉、玉僊の三代も狩野派の絵師として知られている。「湯川系図」によると、湯川家の先祖は、南朝方だった紀州丸山城主の湯川太郎真春で、その子・湯川式部と弟の八兵衛の兄弟が ...

盛岡藩の国元狩野派・石川家

2021/7/6  

石川家初代の主親庄蔵は、森五郎右衛門吉道の四男で、藤田永寿岸信の弟。宝永2年に絵書の梅内久兵衛が死去して絵師不足となり、絵師に召し抱えられたとされる。主親は翌年江戸に出て中橋狩野家の狩野永叔主信のもと ...

盛岡藩の国元狩野派・森家

2021/7/6  

森家初代となった森五郎兵衛是郷(不明-1740)は、森五郎右衛門吉道の三男で、はじめ表具師として藩に仕えていたが、絵の才能を見込まれて元禄10年から国絵図の作成などに父とともに参加するようになり、宝永 ...

盛岡藩の国元狩野派・藤田家

2021/7/6  

盛岡藩の江戸詰め絵師は麻布一本松狩野家が代々つとめたが、国元の御絵師には、元録国絵図の作成を機に、画才がある藩士やその子弟を江戸に派遣して狩野派を学ばせ、絵師として召し抱えた。その子孫は代々絵師として ...

盛岡藩江戸詰め絵師・麻布一本松狩野家

2021/7/6  

盛岡藩では、江戸時代中期に絵師を「御絵師」(常府と国元)と御小納戸支配の御絵師に区別している。江戸詰めの「常府御絵師」としては、麻布一本松狩野家の初代狩野休山(1655-1724)の三男・狩野永碩(1 ...

太宰治の自画像

2021/7/6  

近代文学を代表する小説家の一人である太宰治(1909-1948)は、美術に関しても強い関心を持ち続け、多くの小説に画家や美術に関するモチーフが登場してくる。小説『津軽』では、主人公が兄の持っていた建部 ...

レモンの画家・小館善四郎

2021/7/6  

青森市の裕福な木材商の四男として生まれた小館善四郎(1914-2003)は、小学生のころから油彩をはじめ、多くの芸術家を輩出した青森中学校に進んだ。同級生には、関野凖一郎、佐藤米次郎、根市良三らがいた ...

反戦画家の烙印を押され画壇から去った無頼派の画家・阿部合成

2021/7/6  

南津軽郡浪岡村に生まれた阿部合成(1910-1972)は、大正12年に青森中学校に入学、同級生に太宰治がいた。阿部は、父親が青森市長をつとめるなど、名家の出で、裕福な家庭に育った大宰と出自や環境が似て ...

青森県南部地方の洋画家

2021/7/6  

県南(青森県の南部地方)の洋画家としては、県南地方の洋画の先駆者とされる福田剛三郎(1886-1977)が、明治38年に上京して、大下藤次郎が主宰する水彩画研究所で学んだ。その後、白馬会に入り、明治4 ...

昭和初期の青森県の洋画家

2021/7/6  

昭和初期の青森では、大正時代に引き続き、いろいろな美術団体や研究所が立ちあげられた。昭和2年には、東京美術学校を卒業して弘前中学校で美術教師をしていた穴沢赳夫(1899-1946)が、同校の卒業生・黒 ...

棟方志功の油彩画

2021/7/6  

版画で世界的な活躍をすることになる棟方志功(1903-1975)だが、はじめはゴッホの「ひまわり」を見て感銘を受け、油彩画を描いていた。そして、21歳の時に油彩画家を志して上京。しかし、目標としていた ...

エノケンのレビュー作家をつとめた菊谷栄

2021/7/6  

菊谷栄(1902-1937)は、青森市では今純三に継ぐ油絵の草分け的存在だが、菊谷を有名にしたのは、「日本の喜劇王」と称されたエノケン(榎本健一)の劇団に舞台装置家として参加し、レビュー作家としてデビ ...

青森県の創作版画の祖・今純三

2021/7/6  

大正時代に、青森県の文化面に大きな影響を与えた「六花会」やその後に結成された「白躍会」で活躍した洋画家に今純三(1893-1944)がいる。今純三は弘前市に生まれ、小学校卒業後に一家で上京した。明治4 ...

英国に帰化した水彩画家・松山忠三

2024/2/22  

青森県の洋画家で最も早く海外に渡ったのは、水彩画家の松山忠三(1880-1954)とされる。松山は、北津軽郡板柳町の大地主の家に生まれた。生家は、津軽随一の大長者といわれた井筒屋の別家にあたるが、父親 ...

本格的な洋画を津軽に持ち帰った羽場金司

2021/7/6  

明治も終わり頃になると、東京美術学校西洋画科に青森県出身の若者たちも入学をはじめた。大川亮をはじめ、羽場金司、関彦四郎、大橋貞一らである。大正2年に東京美術学校を卒業した羽場金司(1886-1916) ...

青森初の洋画研究所を開いた大和田篤治と大川亮

2021/7/6  

青森県初の「洋画研究所」は、明治30年代後半、大和田篤治と大川亮によって青森市に開かれた。南津軽郡に生まれた大川亮(1881-1958)は、中学時代から絵を描き、画家になることを望んでいたが、家族の反 ...

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昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

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室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

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