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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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吉川英治に最後の南画人と称された新井洞巌

2021/7/24  

新井洞巌(1866-1948)は、群馬県吾妻郡原町(現在の吾妻町)の刀研ぎの家に生まれた。はじめ長井雲坪、四谷延陵に学び、19歳の時に伊香保温泉に逗留中の菅原白龍を訪ねて入門を直訴、許可を得て上京し本 ...

農閑期に信州渋温泉に通い児玉果亭に師事した青柳琴僊

2021/7/5  

青柳琴僊(1867-1962)は、月夜野(現在の群馬県利根郡みなかみ町)の農家の長男として生まれた。6歳頃から父について読書、算術を学び、10歳頃から絵を描きはじめ、13歳で林青山の門に入り「燕山」と ...

群馬県内外43カ所の寺院に天井画を描いた林青山

2021/7/5  

群馬県利根郡桃野村上津(現在のみなかみ町上津)に生まれた林青山(1847-1933)は、6歳で藤岡の法橋重信の門に入り、絵の勉強をはじめ、13歳の時に湯の原村(現在の新治村)の林豊山に師事し、また華道 ...

郷土画家として多くの後進を育てた青木翠山と利根沼田の門人

2021/7/5  

青木翠山(1842-1896)は、沼田藩士の長男として、利根郡沼田(現在の群馬県沼田市西原新町)に生まれた。幼いころから平等寺の住職・井上無蓋に絵を学び、紙凧や羽子板に絵を描いて家計を助けたという。そ ...

群馬師範学校の生徒実習に鉛筆画を導入した武居梅坡

2021/7/5  

武居梅坡(1831-1905)は、高崎新田町に生まれた。幼いころから画を好み、6歳のころには草双紙などの挿絵を模写することを娯しみとしていたという。12歳の時に高崎藩士で南蘋派の矢島乾庵に学び、18歳 ...

明治維新後は郷里伊勢崎の地方教育に尽力した松本宏洞

2021/7/5  

松本宏洞(1827-1911)は、佐波郡大正寺村(現在の伊勢崎市大正寺町)の名族の家に生まれた。7歳から書をはじめ、10歳で儒教の経典である五経を素読したといわれる。21歳の時に江戸に出て、中澤雪城に ...

若くして高崎藩を脱藩し諸国を旅した矢島群芳

2021/7/5  

高崎藩士・矢島兵左衛門定喜の子として江戸藩邸に生まれた矢島群芳(1798-1869)は、幼いころから画を好み、はじめ大西圭斎に入門、のちに椿椿山に師事した。花鳥図を好み、特に鶴の描写を得意とした。 父 ...

上州南画の第一人者・金井烏洲

2021/7/5  

金井烏洲(1796-1857)は、佐位郡島村(現在の伊勢崎市境島村)の豪農の家に生まれた。父・萬戸は俳諧を嗜み、兄・莎邨も経史詩文に親しむという家庭環境のなか、幼いころから学問を身に付け、たびたび金井 ...

玉村宿で地方絵師として活躍した千輝玉斎

2021/7/5  

千輝玉斎(1790-1872)は、日光例幣使街道沿いの玉村宿(現在の群馬県佐波郡玉村町)で旅籠を営む一方、地方絵師として活躍した。群馬県吾妻郡中之条町竪町の町田家(染物屋)に生まれたと伝わっているが、 ...

館林を中心に東毛地方に多くの絵馬を残した北尾重光

2021/7/5  

江戸に生まれた北尾重光(1814-1883)は、北尾派の門に入り浮世絵を学び、法橋に叙された。25歳頃から館林城下に近い田町(館林市本町三丁目)に住み、求めに応じて画筆を振るい、のちに店舗を構えて各種 ...

近世高崎の三大画人のひとり・一椿斎芳輝

2021/7/5  

一椿斎芳輝(1808-1891)は江戸日本橋の町人の子として生まれた。幼いころから絵を好み、15、6歳の時に谷文晁の門に入り、北年と号した。その後、20歳頃に高崎の旅籠屋・田中勘右衛門の一人娘モヨの婿 ...

上州高崎の浮世絵師・青木周渓

2021/7/5  

青木周渓(1770-1845)は、上州高崎新紺屋町の染め物の上絵描きを生業とした上絵屋で、絵は浮世絵師・渓斎英泉に学んだ。「高崎談話」の文と挿絵を描き、「大信寺本堂の天井絵」や養蚕風俗画「養蚕草」など ...

晩年を上州藤岡で過ごした浮世絵師・菊川英山

2024/12/11  

菊川英山(1787-1867)は、江戸市ヶ谷の造り花屋「近江屋」の子として生まれ、狩野派の絵師の門人だった父に絵の手ほどきを受け、のちに鈴木南嶺に師事した。また、幼い時から親しかった葛飾北斎門下の魚屋 ...

上州南画の先駆者・柿沼山岳

2021/7/5  

柿沼山岳(1774-1859)は、安永3年、武蔵国加須(現在の埼玉県加須市)に生まれた。若いころ江戸に出て、亀田鵬斎に師事して漢学と画技を学んだと思われる。諸国遊歴ののち、32歳の時に上州に入り、上野 ...

遍歴と隠遁に終始した上州の画僧・風外慧薫

2021/7/5  

上野国碓氷郡土塩村(現在の群馬県安中市松井田町)に生まれた風外慧薫(1568-1654頃)は、幼いときに近くの禅寺に預けられたのが縁で禅僧となり、子持村(現在の渋川市)の雙林寺で長く修業をつんだ後、諸 ...

北関東の戦後版画運動を担った鈴木賢二

2021/7/6  

下都賀郡栃木町(現在の栃木市)に生まれた鈴木賢二(1906-1987)は、地元の中学校卒業後に上京、川端画学校に入った。翌年には東京美術学校彫刻科に入学、高村光雲について木彫を学んだ。在学中からプロレ ...

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奄美大島に没した田中一村の話

昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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新しい日本画を追求して近代日本画壇を牽引した横山大観

横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

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妖艶で頽廃美漂う画風を展開し、画壇の悪魔派と呼ばれた北野恒富

北野恒富(1880-1947)は、金沢市に生まれ、小学校卒業後に新聞の版下を彫る彫刻師をしていたが、画家を志して17歳の時に大阪に出て、金沢出身で歌川派の流れを汲む浮世絵師・稲野年恒に師事し、師と同様 ...

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室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

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