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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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明治の三大閨秀画家のひとり・野口小蘋

2025/2/13  

漢方医の長女として大坂に生まれた野口小蘋(1847-1917)は、幼いころから書画の才能に恵まれ、8歳で四条派の絵師・石垣東山に手ほどきを受け、19歳の時に南画家の日根対山に師事し、明治元年頃には京都 ...

日本の初期洋画家のひとり・中丸精十郎

2021/7/5  

日本における近代洋画は、安政3(1856)年に幕府によって開設された蕃書調所(東京大学の前身)から始まったとされる。ここで絵図調出役をつとめていた川上冬崖(1827-1881)が、正式に洋画の研究を進 ...

各地を遊歴して画技を磨き名を高めた三枝雲岱

2021/7/5  

山梨県巨摩郡浅尾新田(現在の北杜市明野)に生まれた三枝雲岱(1811-1901)は、14歳の時に蔵原村の三光山宝原寺の三枝家の養子になり、22歳で住職となった。幼いころから画を好み、はじめ甲府の竹邨三 ...

米山朴庵と都留市ゆかりの画人

2021/7/5  

都留市出身の画人としては、旭岳麟、清水豊掌のほかに米山朴庵(1864-1928)がいる。朴庵は、山梨県南都留郡境村(現在の都留市境)に生まれ、滝和亭が下谷村の小池家に身を寄せていたときに弟子入りしたと ...

紀州侯のお抱え絵師になったと伝わる旭岳麟

2021/7/5  

山梨県都留市は、古くから郡内地方の中心地として発展し、特に江戸時代前期には谷村藩の城下町として栄えた。幕府の直轄地となってからも葛飾北斎や松尾芭蕉をはじめ多くの文人たちがこの地を訪れ、多様な江戸文化が ...

山梨の近代南画の先駆者・竹邨三陽

2021/7/5  

甲府の医師の家に生まれた竹邨三陽(1799-1857)は、青年期に藩校で友野霞舟らから文人としての教養を受け、のちに尾張名古屋へ遊学して山本梅逸、中林竹洞に師事した。山梨の近代南画の先駆者として位置付 ...

近世日本の篆刻界で「印聖」と称された高芙蓉

2021/7/5  

日本の篆刻は、明王朝滅亡に際して中国から亡命した黄檗禅僧によってもたらされ、17世紀中期以後に長崎に渡来した独立性易、東皐心越を祖に形成されたとされる。装飾的な技巧を主とした刻風だったが、のちに「印聖 ...

日本南画の先駆者のひとり・柳沢淇園

2021/7/5  

大和郡山藩で柳沢吉里・伊信の二代に任えた柳沢淇園(1703-1758)は、早熟多才で、なかでも画才に恵まれ、8、9歳頃から狩野派を学んでいたが、12、3歳の時には狩野派を骨髄を得ないと批判し、明清画を ...

狩野派の柳沢吉里と南蘋派の柳沢伊信

2021/7/5  

柳沢吉保は、宝永6(1709)年に将軍綱吉が没すると、家督を子の吉里に譲り、以後は江戸駒込の六義園で隠居した。跡を継いだ吉里がのちに大和郡山に転封になったため、吉保・吉里父子の甲府における治世は20年 ...

甲府城主となった幕府の大老格・柳沢吉保

2021/7/5  

甲斐国は、天正10(1582)年の武田氏滅亡後は、織田・豊臣期を経て、江戸時代には徳川家の領有となり、幕府の直轄あるいは甲斐徳川家による統治が続いていた。宝永元(1704)年、それまで甲府城主をつとめ ...

24歳の時に行方不明となった幻の版画家・藤牧義夫

2021/7/5  

藤牧義夫(1911-1935)は、明治44年、群馬県邑楽郡館林町(現在の館林市城町)に生まれた。2歳の時に実母を亡くし、13歳の時には父親も病没した。さらに、16歳の時に兄も病没したため、藤牧は東京に ...

岩田専太郎と挿絵画家の双璧と謳われた志村立美

2023/9/27  

志村立美(1907-1980)は、群馬県高崎市の質店の長男として生まれたが、3歳の時に質店が倒産し、一家で東京の本所に移住した。しかし、すぐに暴風雨に見舞われ、その1年後には横浜に転居した。横浜では、 ...

群馬美術協会の結成と群馬の美術家

2021/7/5  

昭和8年、東京在住の群馬県出身の洋画家によって、群馬最初の洋画団体と思われる「群馬洋画家協会」が結成された。発起人には、金井烏洲のひ孫に当たる金井文彦をはじめ、横堀角次郎、小林猶治郎、塚本茂、清水刀根 ...

モダンな感覚で新しい日本画を模索した田中青坪

2021/7/5  

田中青坪(1903-1994)は、明治36年に群馬県前橋市に生まれ、3歳の時に一家で東京の浅草に移り住んだ。幼いころから絵に興味を持ち、小学校5、6年の時には油絵を描いていた。15歳の時に画家を志して ...

主体美術協会創立に参加した豊田一男

2021/7/5  

豊田一男(1909-1989)は、明治42年北海道札幌市に生まれ、翌年、父親の転勤に伴って群馬県群馬郡倉淵村(現在の高崎市)に転居した。大正11年、旧制高崎中学校に入学、2級上に山口薫、同級に松本忠義 ...

文芸も絵画も独学で学んだ福田貂太郎

2021/7/5  

福田貂太郎(1903-1991)は、明治36年前橋市に生まれた。前橋市立桃井尋常高等小学校を5年1学期に中退してから、以後、正規の学校教育を受けることはなかった。画家を志してからも、師につくことはなく ...

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昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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新しい日本画を追求して近代日本画壇を牽引した横山大観

横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

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室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

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