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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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富山でいち早く前衛活動を展開した佐藤洋

2022/11/9  

佐藤洋(1908-1987)は、山形県鶴岡市に生まれ、富山薬学専門学校(現在の富山大学薬学部)に入学したが、肺結核のため2年間休学し、その間に絵を描きはじめた。休学中の昭和7年に島田四郎(1905-1 ...

富山初の洋画団体「北国洋画協会」を結成した改井徳寛

2022/11/7  

富山県の洋画史において、大正6年に改井徳寛(1895-1951)、村井盈人(1899-1976)らによって結成された「北国洋画協会」が、富山の洋画家たちによる組織的な活動の始まりとされている。同会は、 ...

砺波の美術教育の中心として活動した川辺外治

2022/11/4  

富山師範学校(現在の富山大学教育学部)で曽根末次郎に学んだ川辺外治(1901-1983)は、同校卒業後は福野小学校に勤務したのち東京に出向、太平洋美術学校夜間部専科に入学して油彩を学んだ。その後、文検 ...

安岡信義、曽根末次郎ら富山の美術文化振興に主導的な働きを果たした美術教師たち

2022/11/2  

明治・大正から昭和前期にかけて、富山県内の旧制中学校などに在任した美術教師は、富山の美術文化振興に主導的な働きを果たした。特に、美術教師の育成を目的とした富山師範学校(現在の富山大学教育学部)で教鞭を ...

富山県人最初の洋画家・田部英嘉と富山の初期洋画家

2022/10/31  

田部英嘉(不明-1888)は、富山県上新川郡奥田村(現在の富山市)に生まれた。少年のころから絵を好んでいたが、絵を学ぶために遊学することは許されないと思い、昭和18年頃書き置きをして京都に上り、久保田 ...

岩崎巴人らと日本表現派を結成した谷口山郷

2022/10/25  

日本表現派は、岩崎巴人、谷口山郷、野村清六(のむら清六)、長崎莫人ら川端画学校出身者と富山県朝日町蛭谷出身の画家たちによって、昭和33年に結成された。岩崎と谷口は川端画学校で知り合い、ともに兵役の期間 ...

富山県日本画家連盟を創設した小坂勝人

2022/10/21  

高岡市に生まれた小坂勝人(1901-1953)は、東京美術学校に学び、卒業後も帝展、新文展、日展に出品を続けて東京で活動していたが、昭和20年に戦禍を避けて富山県城端町に疎開、地元での全県的規模の美術 ...

渇筆法による独自の水墨画を描いた篁牛人

2022/10/19  

篁牛人(1901-1984)は、富山県婦負郡桜谷村(現在の富山市)の浄土真宗本願寺派善照寺の住職の子として生まれた。尋常小学校を卒業後、富山県立工芸学校図案科に進んで中島秋圃に学び、卒業後は同校卒業生 ...

里見米菴ら院展に出品した富山の日本画家

2022/10/17  

里見米菴(1898-1993)は、富山県射水郡小杉町(現在の射水市)に生まれ、高等小学校卒業後に16歳で上京し、鈴木赤城の内弟子となり、川合玉堂門下の井澤蘇水らに日本画を学んだ。その後、赤城門を出て舞 ...

写生行脚を続け求道者のように山を描いた村嶋酉一

2022/10/14  

村嶋酉一(1897-1973)は、富山市総曲輪丸の内に生まれ、富山中学校卒業後に尾竹越堂をたよって上京し、書生として寄宿しながら東京美術学校日本画科に入学、結城素明に師事した。また、同校で画業に励む一 ...

時代小説の挿絵画家としても活躍した金森観陽

2024/12/11  

金森観陽(1884-1932)は、13歳で尾竹越堂に師事し、富山県出身者として初めて文展に入選した。その後大阪に移り、関西画壇で活躍した。風俗画・歴史画にすぐれ、その手腕を生かした挿絵画家としても活動 ...

中島秋圃の後任として後進の育成に尽力した加藤雨月

2022/10/10  

加藤雨月(1891-1968)は、富山市千石町に生まれ、富山中学校を経て東京美術学校日本画科に進学した。入学後は代議士宅で書生などをしながら苦学して学び、結城素明、寺崎広業、川端玉章らに師事した。同期 ...

院展の北陸巡回を発案するなど富山の近代日本画界に大きな足跡を残した郷倉千靱

2022/10/7  

郷倉千靱(1892-1975)は、富山県射水郡小杉町(現在の小杉町三ケ白銀町)の呉服商の二男として生まれた。富山県立工芸学校漆工科で中島秋圃の指導を受け、同校卒業後は東京美術学校日本画科に進学し、寺崎 ...

官展を離れ戦後は日本美術協会改組に参加した塩崎逸陵

2022/10/5  

高岡市に生まれた塩崎逸陵(1884-1974)は、富山県立工芸学校描金科に入学し、教頭として赴任していた京都の日本画家・畑仙齢に日本画を学んだ。同校卒業後は東京美術学校日本画科に進み、寺崎広業に学び、 ...

中島秋圃宅に寄宿して薫陶を受けた濱谷白雨

2022/10/3  

富山県婦負郡四方町(現在の富山市)に生まれた濱谷白雨(1886-1965)は、富山県立工芸学校で中島秋圃に才能を認められ、秋圃宅に住み込み、工芸学校でも指導を受けた。同校卒業後は東京美術学校日本画科に ...

富山県立工芸学校で日本画の教官を長年つとめた中島秋圃

2022/9/30  

美術工芸の町として発展した高岡では、高田蕙圃や佐伯春芳をはじめとする高岡の初期絵師たちが、銅器、漆器の下図や染織の図案を描き、また、のちに続く工芸家たちにその技術を教え、明治から大正にかけて発展してい ...

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昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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新しい日本画を追求して近代日本画壇を牽引した横山大観

横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

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岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

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