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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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日本南画協会の結成に参加した河村虹外

2024/12/16  

若狭小浜に生まれた河村虹外(1861-1932)は、南画家の重春塘に師事し京都に住んだ。明治29年には、師の春塘とともに日本南画協会の結成に参加した。酒を愛して逸事が多かったと伝わっている。 明治29 ...

祖父・父を加えて「内海三代」と称された内海吉堂

2023/5/26  

越前敦賀に生まれた内海吉堂(1849-1925)は、幼いころに近江に移り、医師・小菅兎峯のもとに身を寄せて漢詩を学んだ。その後京都に出て四条派の塩川文麟に画を学び、京都を中心に活躍した。祖父の内海元孝 ...

伊藤若冲に学び梅図を得意とした画僧・維明周奎

2023/5/24  

維明周奎(1731-1808)は、若狭高浜に生まれ、幼くして京都の相国寺に出家入堂し、のちに相国寺第115世をつとめた臨済宗の僧で、画人としても知られた。寺務のかたわら伊藤若冲に画法を学び、さらに中国 ...

狂画をもって知られた福井藩の居合術師範・高畠夢蝶

2023/5/22  

高畠夢蝶(不明-不明)は、江戸後期の福井藩士で、福井藩の居合い師範の家に生まれた。藩の居合術師範をつとめるかたわら諸芸をよくし、なかでも狂画をもって知られた。文化12年に福井藩士の井上翼章によって著さ ...

岡部南嶽、川地柯亭ら江戸期の福井、鯖江の南画家

2023/5/19  

福井藩の家老職にあった岡部南嶽(1733-1800)は、藩の御用絵師をつとめていた狩野派の絵画に飽き足らず、福井狩野家を厳しく批判し、当時勃興期にあった南画に傾倒して多くの作品を描き、墨竹をもって知ら ...

江戸後期の越前敦賀における円山四条派の画人

2023/5/17  

越前敦賀は、地理的にも京都に近いことから多くの画人が京都に出て学んでいる。江戸後期に活躍した円山四条派の画人としては、若くして京都に出て晩年の円山応挙に学んだ内海元孝(1772-1835)や、元孝の養 ...

諸派に学んだ自由な画風で人気を博した横山華山

2023/5/15  

横山華山(1781or1784-1837)は、江戸時代後期に京都で活躍した絵師で、画派に属さず、題材に合わせて自在に筆を操る自由な画風で人気を博した。一般に京都生まれとされているが、近年になって越前出 ...

画人として大成した福井藩士・島田雪谷

2023/5/12  

島田雪谷(1828-1884)は、はじめ岩尾雪峯に四条派を学び、のちに同派の横山清暉に師事した。前藩主の松平慶永と藩主の茂昭に画家としての才能を認められて庇護を受け、多くの門人を育てた。長男の雪湖と二 ...

町絵師として画名が高かった早瀬蘭川・来山父子

2023/5/10  

越前で画名が高かった町絵師としては、早瀬蘭川・来山父子がいる。早瀬蘭川(1777-1837)は福井城下神明町に生まれ、京都に出て原在中に師事し、美人画で評判を得た。子の来山は、父同様に京都に出て四条派 ...

父又兵衛の跡を継ぎ福井藩につかえた岩佐勝重

2023/5/8  

岩佐又兵衛没後は、子の岩佐勝重(不明-1673)が岩佐派を継いで、狩野派と並んで福井藩の御用絵師として、福井城障壁画の制作などを手がけた。しかし、その活動は専ら福井中心で、父のように全国規模ではなかっ ...

風俗画の分野に新境地を開き、浮世絵の開祖と称された岩佐又兵衛

2024/12/11  

岩佐又兵衛(1578-1650)は、大和絵と漢画を折衷したような独特の画風で風俗画の分野に新境地を開き、「浮世又兵衛」の異名をとり、一世を風靡した。浮世絵の祖、大津絵の祖とも称され、その様式は同時代や ...

福井藩の御用絵師をつとめた狩野家と奈須家

2023/5/3  

福井藩最初の御用絵師となった狩野了之が没した後は、江戸で狩野安信に学んだ嫡男の狩野元昭(1623-1681)がその跡を継承した。元昭の跡は長子の竹雲が相続したが、貞享3年の藩主綱昌改易と時を同じくして ...

福井藩最初の御用絵師・狩野了之

2023/5/1  

福井狩野派の元祖にあたる狩野了之(不明-1660)は、狩野光信門下の高弟・渡辺了慶の子として京都に生まれ、自らも光信に学んだ。京都において画名が高く、狩野姓を許されている。 嘉永15年に三代福井藩主・ ...

曾我派の流れを汲むとされる敦賀の鷹絵師・橋本長兵衛

2023/4/27  

越前敦賀を中心に活躍した画派に橋本派がある。初代の橋本長兵衛(不明-不明)は曾我派の流れを汲むとされ、鷹図を得意とした。二代長兵衛も初代と同様に鷹図を得意とし、小浜藩主の御用をつとめた。二代目没後は三 ...

越前若狭で活躍した小栗宗湛を祖とする小栗派

2023/4/17  

越前曾我派が一乗谷及び北庄城下で水墨画の世界を展開していた頃、若狭では、曾我派初代の墨溪と同じく京都で周文に学んだ小栗宗湛(1413-1481)を祖とする小栗派が活躍していたと考えられている。 小栗宗 ...

桃山時代に泉州堺で新たな曾我派を興した曾我直庵

2023/4/13  

墨溪を祖とする越前曾我派は、天正元年(1573)の朝倉氏滅亡とともに一乗谷から姿を消したが、この時の曾我派の絵師としては、4代宗誉と5代紹祥が想定されている。5代紹祥は、その後曾我派とかかわりの深かっ ...

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昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

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