
深田直城「水辺芦雁・雪中舩泊」
深田直城(1861-1947)は、近江国の膳所藩士の家に生まれた。8歳の時に京都に出て絵画を習いはじめ、14歳で父の友人である加島菱洲に洋画を学び、翌年森川曽文に師事して四条派の写生画法を学んだ。18歳の時には独立して画塾を設けたが、この頃にはすでに京都で名前が知られていたという。
明治13年から19年まで京都府画学校に出仕して後進の育成につとめ、明治19年に大阪に移り住んだ。明治31年には大阪市東区伏見町(現在の中央区伏見町)に住み、写生派の重鎮として平井直水をはじめ多くの門人を育てた。大正3年に西宮に転居し昭和22年に没するまで同地で暮らした。
深田直城(1861-1947)ふかだ・ちょくじょう
→大阪画壇を代表する画家として活躍した深田直城
大阪(92)-画人伝・INDEX
文献:サロン!雅と俗:京の大家と知られざる大坂画壇、日本美術院百年史1巻上、大阪の日本画、上島鳳山と大阪の画家たち、大坂画壇の絵画、日本の花鳥画