画人伝・大阪 浮世絵師

幕末・明治期の上方浮世絵界を支えた一養亭芳滝

一養亭芳滝「城中大火図」(部分)

一養亭芳滝「城中大火図」(部分)

一養亭芳滝(1841-1899)は、一鶯斎芳梅の門人で、安政年間から明治15年頃まで活躍し、幕末・明治期の上方浮世絵界を支えた。上方では最多の作品数を誇り、役者絵では、どの役者も吊り目、離れ眼ぎみに似顔を描き、絵看板、おもちゃ絵、風景画、錦絵新聞、引札なども手掛けた。

安政末から元治年間頃の役者絵に秀作が多く、明治期には「赤絵」と呼ばれ当時流行した化学染料による赤や紫を積極的に用いたが、浮世絵の衰退とともに婦人風俗画へと活躍の場を移していった。同門に六花園芳雪(1835-1879)が、門下に後藤芳景(1858-1922)がいる。

一養亭芳滝(1841-1899)いちようてい・よしたき
天保3年生まれ。大坂の人。一鶯斎芳梅の門人。姓は中川。芳滝、一養斎、一養亭、養水、里の家、豊玉、寿栄堂、阪田舎居、糊屋、笹木芳瀧などと号した。明治32年、59歳で死去した。

六花園芳雪(1835-1879)ろっかえん・よしゆき
天保6年生まれ。大坂の人。一鶯斎芳梅の門人。姓は森。名は米次郎。芳雪、六花園、南粋、南酔亭、六花軒などと号した。安政3年から明治8年頃まで活動し、役者絵、風景画を描いた。東京の開化風俗を描いた作品も残している。明治12年、44歳で死去した。

後藤芳景(1858-1922)ごとう・よしかげ
安政5年生まれ。大坂の人。一養亭芳滝の門人。姓は後藤。芳景、豊斎などと号した。明治6年から30年頃まで活動し、役者絵のほか、明治風俗を題材としたおもちゃ絵や日清戦争錦絵を描いた。また、浮世絵の衰退に伴い新聞挿絵、雑誌口絵の分野でも活躍した。大正11年、65歳で死去した。

大阪(74)-画人伝・INDEX

文献:上方の浮世絵-大坂・京都の粋と技、日本の浮世絵美術館巻五




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