画人伝・大阪 動物画

森狙仙に学び円山応挙風の子犬図も残した鎌田巌松

鎌田巌松「三疋子犬図」

鎌田巌松「三疋子犬図」

森狙仙の門人としては、養子となって森派二代目を継いだ森徹山をはじめ、花卉翎毛を得意とした高弟・森春溪、森周峰の実子で狙仙に学んだと思われる森祖雪、森玉仙、金田芦江、鎌田巌松らがいる。

鎌田巌松(1798-1859)は、はじめ狙仙に師事して森派の動物画の描法を学び、その後中井藍江について山水図、花鳥図、人物図なども描いて作域を広げた。また、円山応挙風の「三疋子犬図」(掲載作品)なども残している。

関連史料は多くないが、天保頃の『浪速諸流画人名家案内』には、江戸堀に住む画人として登場し、安政年間の史料類には「浮世巷」に住むと記されている。娘の応昇も父に学び画を描いたが、23歳で早世した。

鎌田巌松(1798-1859)かまた・がんしょう
寛政10年生まれ。大坂の人。名は実あるいは子寛、字は子秀、俗称は一蔵。号は巌松、秀一。はじめ森狙仙に師事して動物画を描き、その後中井藍江について山水花鳥人物を得意とした。天保15年の応挙南岳追福書画展に「竹雀図」を出品している。安政6年、62歳で死去した。

鎌田応昇(1830-1852)かまた・おうしょう
天保元年生まれ。大坂の人。鎌田巌松の娘。父に画を学び山水花鳥人物を描いたが、嘉永5年、23歳で死去した。

佐々木蜻洲(1802-1856)ささき・せいしゅう
享和2年生まれ。紀伊の人でのちに大坂に移った。名は禅、字は無外、俗称は正作。号は蜻洲、晴洲、天仙、龍馬。姓は鷦鷯氏ともいう。はじめ中井藍江に学び、のちに鎌田巌松に師事した。天保15年の応挙南岳追福書画展に「一葉芋根」を出品している。人となりは豪邁で筆力も強く師風を墜さなかったと評された。安政3年、54歳で死去した。

大阪(09)-画人伝・INDEX

文献:近世大阪画壇、浪華人物誌2、サロン!雅と俗:京の大家と知られざる大坂画壇、近世の大阪画人、大坂画壇の絵画




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