新潟市に生まれた粛粲寶(1902-1994)は、洋画家を志して上京し、白馬会洋画研究所で黒田清輝について学び、水島太一の名前で帝展などに出品したが、のちに小林古径に師事して日本画に転じた。
日本画家としては、院展にも出品したが、やがて画壇から距離を置くようになり、一時期は絵画制作から離れ、奈良の古刹で寄食生活を送った。その後作家活動を再開し、主として個展で発表を続け、飄逸洒脱な画風で人気を博した。
粛粲寶(1902-1994)しゅく・さんぽう
明治35年新潟市生まれ。本名は水島太一郎。上京して黒田清輝、小林古径に師事した。はじめ洋画家として水島太一の名前で第10回帝展に入選。ついで第12回帝展に入選した。日本画家としては、花鳥画や人物画を描き、個展を中心に活動を続けた。昭和60年に茨城県猿島郡境町に転居した。平成6年、92歳で死去した。
新潟(43)-画人伝・INDEX
文献:新潟の美術、越佐書画名鑑 第2版