画人伝・奈良 洋画家 風景画

奈良で初となる洋画の展覧会を開催した足立源一郎

足立源一郎「奈良風景」

足立源一郎「奈良風景」

大正8年、フランス留学から帰国したばかりの足立源一郎(1889-1973)が、奈良に住まいを移し、奈良市郊外の高畑にモダンな赤い屋根のアトリエを構えた。そして同年10月、足立と先に奈良に移住していた濱田葆光山下繁雄の3人に、帰郷中の普門暁を加えて「あしび会展」と名付けた展覧会を奈良図書館で開催した。これが奈良での初めての洋画の展覧会となった。

足立のアトリエには教えを請うものが集まり、いつしか第一日曜に日を決めて集まるようになった。それが第一日曜写生会の始まりで、辰己利文、小島貞三らがその中心となった。また、足立、辰己、小島は、共著で『古美術行脚大和』を出版し、古美術の紹介にもつとめた。

昭和2年、足立が東京に移ると、足立のアトリエは中村義夫に譲られた。同アトリエは、現在国の登録有形文化財に指定されている。

足立源一郎(1889-1973)あだち・げんいちろう
明治22年大阪市生まれ。明治38年京都市立美術工芸学校に入学、翌年関西美術院が開設されると同院でも学び、明治40年上京して太平洋画会研究所に入った。大正3年渡欧しその後も度々渡欧した。一回目の渡欧からの帰国後、大正8年から昭和2年まで奈良に住み、第一日曜写生会を開催して後進の指導にあたった。また、『古美術行脚大和』を出版し古美術を紹介した。その間、大正8年日本美術院洋画部同人となり、大正11年春陽会の創立に参加した。昭和2年東京に移住。昭和11年日本山岳画協会を創立、後年は山岳画家として知られた。83歳で死去した。

奈良(11)-画人伝・INDEX

文献:美の新風 奈良と洋画、近代奈良の洋画




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