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仙台の浮世絵師・熊耳耕年

熊耳耕年「芭蕉の辻図」
左端の店先が少し見えるのが、耕年の生家である仕立屋の大澤屋。そこにいる幼児が耕年自身。

仙台・芭蕉の辻の一角に店を構える仕立屋・大澤屋の二男として生まれた熊耳耕年は、裕福な幼年時代を過ごしたが、13歳の時に店が傾き、翌年父が亡くなった。死の直前に父に店を託された耕年だったが、結局どうすることも出来ず、店をたたんで自身は下駄屋の奉公に出るしかなかった。

20歳の時に、幼いころから興味のあった絵の道を志して上京、浮世絵師・月岡芳年の内弟子となったが、修業4年目に芳年が病死したため、通いで尾形月耕に師事することになった。月耕のもとでは、日本青年絵画協会や日本美術協会の展覧会で受賞を重ねていたが、明治27年からは展覧会に出品しなくなり、居を故郷の仙台に移した。

仙台では、東北新聞に入社して、報道画や挿絵を手がけ、明治30年に創刊された「河北日報」でも挿絵、政治・社会風刺画に加え、広告、付録など多彩な仕事に取り組んだ。明治33年からは河北日報の挿絵をやめ、東京と仙台とを行き来しながら活動していたが、大正12年の関東大震災を機に仙台に帰郷、「仙台日本画展覧会」の結成に参加するなど、郷土の日本画壇発展に貢献した。

掲載の「芭蕉の辻図」は、昭和3年に仙台で開催された東北産業博覧会日本画の部で一等金牌を受賞した作品で、明治8、9年当時の仙台商家の繁栄ぶりを、裕福だった幼年時代の記憶をもとに再現したもの。

熊耳耕年(1869-1938)くまがみ・こうねん
明治2年仙台生まれ。本名は源助。初号は年国。芭蕉の辻の一角に店を構える仕立屋大澤屋の二男。13歳の時に大澤屋は没落し、翌年父が没した。幼いころから絵に興味を持ち、20歳の時に上京し、月岡芳年の内弟子となり、芳年没後は尾形月耕に師事した。発刊時の河北新報の挿絵を描いた。大正12年帰郷、初期の河北展で活躍した。昭和13年、69歳で死去した。

文献:仙台市史特別編3(美術工芸)、仙台画人伝、福島美術館優品図録

月岡芳年 幕末・明治を生きた奇才浮世絵師 (別冊太陽)
平凡社




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