画人伝・京都 土佐派・大和絵系 花鳥画

土佐派中興の祖と称された土佐光起

左:土佐光起「菊鶉図」、右:土佐光起「花籠図」両作品とも敦賀市立博物館蔵

左:土佐光起「菊鶉図」、右:土佐光起「花籠図」両作品とも敦賀市立博物館蔵

土佐光起(1617-1691)は、土佐光則の子で、父とともに泉州堺で活動していたが、18歳の時、土佐家の再興を目指す父とともに京都に移住した。22歳の時に父と死別したが、その後は和漢の画蹟を研究し、父の細密表現を引き継ぎながら江戸狩野の瀟洒端麗な画風も取り入れ、近世土佐派の家風を創出した。

承応3年、38歳の時には、従五位下・左近衛将監に叙任された。この職は室町時代の光信光茂らがつとめた官職で、この時に宮廷絵所預にも任命されたと考えられている。土佐派の絵所預への復帰は1世紀ぶりのことで、以後土佐家は幕末までこの職を世襲することになる。光起は、土佐派の組織を再整備し、同派におけるやまと絵の規範を築き、土佐派中興の祖と称された。

土佐派は鶉の絵を得意にしたとされ、多くの作例が残っている。特に光起の描く鶉図は、中国宋代の画家・李安中の鶉図と比肩されるほどで、掲載の「菊鶉図」では鶉のリズミカルな羽の模様を細緻な描線を用いて克明に描写している。

土佐光起(1617-1691)とさ・みつおき
元和3年生まれ。土佐光則の子。幼名は藤満丸。別号に春可軒がある。父とともに堺から京都に移った。保守的な土佐派の画風に狩野派の画風を加え、桃山時代の土佐の家風から、江戸時代の画風を創り、土佐派中興の妙手といわれた。承応3年従五位下・左近衛将監に叙任され、宮廷の絵所預となった。延宝9年子の光成に家職を譲り、剃髪して常昭と号し法橋に叙せられ、貞享2年法眼に叙された。元禄4年、75歳で死去した。

京都(74)-画人伝・INDEX

文献:近世やまと絵50選、やまと絵日本絵画の原点、もっと知りたいやまと絵、江戸の花鳥画譜




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