高村右暁(1867-1954)は、加賀藩ゆかりの狩野派の絵師の家に生まれ、祖父の玄佳に手ほどきを受けたのち、20歳の時に垣内右嶙の門に入って四条派の画法を学び、北陸地方屈指の作家と称されるようになった。山水花鳥を中心に、枯淡な雅味あふれる作品を描き、北陸絵画協会や金城画壇展など地元の画壇の興隆に貢献した。
また、俳諧、作陶などにも造詣が深く、茶道も嗜んだ。俳句は北陸画壇暮柳舎一派との交際が深く、蔦の家の渡辺萎文とも親交があった。右暁没後、絵の門弟や俳句仲間たちがその遺徳をしのんで、金沢市小坂神社の境内に筆塚を建立し、辞世の句「水すみて石に声なし秋の風」をその裏面に刻んだという。
高村右暁(1867-1954)たかむら・うぎょう
慶応3年金沢金屋町(現在の金沢市東山)生まれ。生家は加賀藩細工所出仕の狩野派絵師の家系で、幼いころに祖父の玄佳に画の手ほどきを受け、明治18年に垣内右嶙に師事した。十余年の研鑽ののち、中央をはじめ各地で開催された絵画共進会に出品し多くの褒状を受けた。その間、展覧会出品画など3回の宮内省御用を受けた。また、子弟の教育にも情熱を注ぎ、門下生は百余名を数えたという。北陸絵画協会などにも参加し北陸画壇の向上発展に寄与した。また、俳諧、作陶、茶道などにも造詣が深く、二果軒、十後斎と号した。発句集『いなご集』『四時の緑』などの著作がある。昭和29年、88歳で死去した。
石川(16)-画人伝・INDEX
文献:金沢市史資料編16(美術工芸)、新加能画人集成、石川の美術-明治・大正・昭和の歩み