画人伝・北海道 洋画家

北海道独立美術作家協会の画家たち

居串佳一「氷上漁業」第6回独立展

昭和8年の第3回独立展開催後、三岸好太郎を指導者的立場として、北海道出身および在住者による「北海道独立美術作家協会」が結成され、7月には札幌三越で展覧会が開催された。彼らは、フォーヴィスム、キュビスム、シュルレアリスム、抽象といったさまざまな美術の新思潮に刺激を受けながら、自らの絵画を模索していた。

会員は、菊地精二、小山昇、国松登、武智肇、植木茂、居串佳一、岡部文之助、渋谷政雄、濱谷次郎、渡辺大次郎の10名で、独立展に出品しながらも、この時すでに没していた山本菊造、桐田頼三の遺作も展示された。また、三岸好太郎を含む独立美術協会会員15名の作品も賛助出品されている。

翌年には、北川良一、小川マリ、服部木繭を加えて札幌で第2回展を開催したが、この年の7月、三岸が旅先の名古屋で急逝。精神的支柱を失った同会は、翌年札幌で第3回展を開催するとともに東京展も行なったが、活動はこれを最後に終息していく。独立展草創期の活気のなかに生まれ、わずか数年で活動を終えることとなったが、会員たちはその後も各々の活躍の場を探し、それぞれの立場で北海道美術を盛り上げていった。

居串佳一(1911-1955)いぐし・かいち
明治44年常呂郡野付牛村(現北見市)生まれ。旧姓は水野。網走中学在学中の昭和5年、第6回道展に初入選。昭和7年の第2回独立展では「風景」「船着場」が初入選して注目された。同年道展でフローレンス賞を受賞。昭和8年北海道独立美術作家協会の創立に参加。昭和10年に上京し、翌年第6回独立展で「氷上漁業」が海南賞を受賞し、昭和16年独立展会員になった。戦時中は菊地精二とともに従軍画家として中国に赴いた。戦後は全道展の創立に参加。初期には北海道の風土、主にオホーツクの風景を描き、戦後、人物、特に晩年はユーカラをテーマとした女性像を描くようになった。昭和30年、札幌滞在中に風邪から急性肺炎となり、脳膜炎を併発して、44歳で急逝した。

渋谷政雄(1900-1981)しぶや・まさお
明治33年札幌生まれ。三岸好太郎とは幼なじみ。北海中学でどんぐり会に所属。北大農学部に進み、卒業後は樺太の製紙会社に勤務。小樽に移ってからは、小樽木材乾燥会社につとめながら制作を続けた。昭和7年第2回独立展に初入選、昭和8年北海道独立美術作家協会の創立に参加。昭和11年山崎省三や中村善策ら小樽ゆかりの作家と北方美術協会を結成した。昭和6年の第7回展から道展に出品し、昭和14年会員となった。昭和56年、81歳で死去した。

国松登(1907-1994)くにまつ・のぼる
明治40年函館に生まれ、小樽に移住した。昭和2年上京して赤城泰舒に水彩画を学んだ。小樽の裸童社で学び、太地社に出品。昭和5年に上京し本郷洋画研究所に学んだ。昭和7年第8回道展に入選。翌年上京し第3回独立展に初入選、翌年北海道独立美術作家協会の創立に参加した。昭和10年帝国美術学校に入学、昭和12年第7回独立展に落選、その年、東京と北海道を行き来する生活から北海道に戻り、翌年から国画会に出品した。戦後は、全道展の創立に参加するなど、北海道画壇の指導者的役割を担った。平成6年、86歳で死去した。

菊地精二(1908-1973)きくち・せいじ
明治41年札幌生まれ。北海中学でどんぐり会に所属、在学中に第1回道展に入選した。昭和2年中学卒業後に画家を志して上京、佐伯祐三に傾倒し、1930年協会展、中央美術展に出品した。昭和4年第16回二科展に初入選、昭和6年第1回独立展に初入選し、昭和8年には同展でD受を受賞した。北海道独立美術作家協会結成の際には中心になって活動し、事前に札幌で個展を開催した。昭和10年第5回独立展で独立賞を受賞、昭和15年独立展会員となった。戦後は全道展創立に参加し、昭和30年から長く多摩美術大学で教授をつとめた。昭和48年、65歳で死去した。

岡部文之助(1909-1956)おかべ・ふみのすけ
明治42年札幌生まれ。昭和3年札幌第一中学を卒業し、東京美術学校図画師範科に入学。昭和5年第17回二科展に初入選。昭和6年東京美術学校卒業し、同年第7回道展でフローレンス賞を受賞した。在学中から林武に師事し、昭和7年第2回独立展に初入選。昭和8年北海道独立美術作家協会の創立に参加。同年道展会員となった。昭和15年第10回独立展で協会賞を受賞、昭和23年独立展会員となった。昭和24年全道展会員。昭和31年、47歳で死去した。

小山昇(1910-1944)こやま・のぼる
明治43年札幌生まれ。昭和2年札幌第一中学を卒業。同校では三岸好太郎の後輩にあたり、多くの影響を受けた。昭和5年東京高等工芸学校を卒業、同年1930年協会展に入選、昭和6年第1回独立展に入選、同年第7回道展でフローレンス賞を受賞し、翌年道展会員になった。昭和8年北海道独立美術作家協会の創立に参加。三岸と行動をともにすることが多く、三岸の死後は独立展を離れ、自由美術家協会の創立会員になった。昭和19年、中国において、34歳で戦病死した。

濱谷次郎(1912-1982)はまや・じろう
大正元年函館生まれ。函館中学卒業後、帝国美術学校に入学。昭和5年桐田頼三らと彩人社を結成し、東京から作品を出品。昭和8年第3回独立展に初入選。同年北海道独立美術作家協会の創立に参加した。帝国美術学校のグループ展「JAN」に参加し、第1回展にはシュルレアリスムの影響を感じさせる作品を出品。昭和12年帝国美術学校を卒業し、主婦の友社のカメラマンとして勤務しながら昭和14年から美術文化協会に出品した。昭和57年、70歳で死去した。

植木茂(1913-1984)うえき・しげる
大正2年札幌生まれ。昭和5年札幌第一中学を卒業し、仙台二高を受験するため上京したが、そのまま東京で画家を目指した。独立美術研究所で里見勝蔵、林武らの指導を受けた。このころから札幌第一中学で同窓だった小山昇、武智肇とともに三岸好太郎に師事。昭和7年第2回独立展に19歳で最年少入選を果たした。昭和8年北海道独立美術作家協会の創立に参加。三岸の死後は新たな道を模索して彫刻に転じ、昭和12年自由美術展に抽象彫刻を出品して奨励賞を受賞。昭和25年にモダンアート協会の創立会員となったが、昭和29年に退会。1950年代から60年代にかけて海外展に多数出品した。日本の抽象彫刻のパイオニアのひとり。昭和59年、71歳で死去した。

武智肇(1913-不明)たけち・はじめ
大正2年生まれ。札幌第一中学で同窓だった小山昇、植木茂と交友し、先輩の三岸好太郎に師事した。昭和8年北海道独立美術作家協会の創立に参加。三岸の死後、小山や植木とともに独立展から離れ、出品をやめた。従軍して、沖縄へ行く途中で戦死した。

渡辺大次郎(大正初期-不明)わたなべ・だいじろう
札幌商業学校出身。隣接する北海中学の生徒と組織した「とっつあん会」で多くの画友を得る。1930年協会展、独立展に出品。昭和8年北海道独立美術作家協会の創立に参加。北海道内では、道展、太地社展、楚人社展に出品した。

小川マリ(1901-2006)おがわ・まり
明治34年札幌生まれ。庁立札幌高女から東京女子専門学校に進み、卒業後、1930年協会研究所で小島善太郎、中山巍に学んだ。1930年協会展、独立展に出品、北海道独立美術作家協会の第2回展に出品。昭和20年、疎開中の画家仲間が列席し、上野山清貢の仲人で三雲祥之助と結婚した。戦後は春陽会員として活動した。平成18年、104歳で死去した。

北海道(27)-画人伝・INDEX

文献:1930年代の青春、オホーツク・魂の還流 居串佳一展、居串佳一―オホーツクへ還る、林竹治郎とその教え子たち、北海道の美術100年、美術北海道100年展、北海道美術の青春期、風土を彩る6人の洋画家たち、北海道美術史




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