青木周渓(1770-1845)は、上州高崎新紺屋町の染め物の上絵描きを生業とした上絵屋で、絵は浮世絵師・渓斎英泉に学んだ。「高崎談話」の文と挿絵を描き、「大信寺本堂の天井絵」や養蚕風俗画「養蚕草」などを描いた。上記掲載の「片岡郡清水観音十日夜之光景」は、現在の群馬県高崎市にある清水寺で行っていた「清水観音十日夜」収穫祭の賑わいを描いたもの。
また、作者の肖像と詠句を一人一頁ずつ収めた画像俳句集「俳家百人集」は、周渓とその子・笠斎の絵とされており、周渓自らも「なかしつゝ錦も岸につゝしかな」の句を載せ、周渓の肖像は北英が描いている。
青木周渓(1770-1845)あおき・しゅうけい
明和7年生まれ。上州高崎新紺屋町の上絵屋。渓斎英泉門下に学んだ。弘化2年、75歳で死去した。
群馬(04)-画人伝・INDEX
文献:新編 高崎市史(通史編)3