画家略歴

南部(2)-ネット検索で出てこない画家

菊池九江
天保9年下北郡大畑に生まれる。本名は貞蔵。別号九皇、起。漢詩人としても知られる。明治12年雑誌「桂林一枝」を発刊、同14年に朝陽新報社を創設した。作品は下北一円の寺院、旧家に残されている。明治33年、71歳で死去した。

北川観雪
文化年間の人。生年は不詳。八戸藩お抱え絵師。本名は小川潤、通称は六三郎、字は士達、別号に墨亭、菊麿、喜久麿、月種。江戸の小伝馬町に住み、草双紙に錦絵を描いていたが、八戸七代藩主信房のとり立てられ、浮世絵をやめ名を観雪に改め画風も一変したと伝えられる。観雪の描いた信房の肖像画は八戸俳諧倶楽部に受け継がれており、八戸藩屋敷にも襖絵や屏風が残っている。文政13年死去。

鶏斉
生没年不詳。天保年間の浮世絵師で葛飾北斎の門下と伝わるが、絵行脚の途中に八戸に逗留して描いたと思われる。八戸風景の肉筆画、摺物絵も小品ながら残っている。

杉山光鳳
明治36年宮城県涌谷町に生まれる。東京美術学校本科卒業。横山大観に師事するが、都の区会議員選に出馬したため破門され、荒木十畝の門に入る。戦時下、夫人の実家を頼り昭和16年から37年まで、八戸類家、鮫に居住、日展、創造展、日本画院に出品するかたわら八戸の農地調整委員をつとめたり、市議会議員選に落選したりした。後年上京後は日本画院を中心に活動した。昭和58年死去。

対岳
古川の人と伝えられる。生年不詳。一説には石井東江の弟子といわれる。生年、本名など不詳。旅の途中に八戸に立ち寄り定住した旅絵師とみられ、八戸に弟子を多く持ち、七尾英鳳の祖父・対山もそのひとり。風俗画を八戸に多く残しており、三島神社、法霊神社、御前神社の額なども対岳の作といわれる。安政2年死去。

高橋愛洲
明治16年山形県飽海郡に生まれる。本名は徳蔵。幼いころから画才に優れ、小学校在学中に凧絵を描き、酒田市内の小売店に納入していたといわれる。小学校を卒業後に絵の勉強のために上京した。一説には荒木寛畝に師事したと伝えられる。大正2年、30歳の時に北海道旭川に居住、美術学校設立に奔走したが頓挫したといわれる。その後は北国各地を歴遊し下北半島に定住、同地で昭和26年、68歳で死去した。

高橋陵山
明治25年八戸番町に生まれる。本名は生悦。独学で油彩を研究。海軍軍人として南洋を従軍のかたわら南洋ポナペ島写生図を海軍省に献納している。除隊後は、家業の印刷業のかたわら日本画を研究、たこ絵も多く制作したとされる。八戸心月院に達磨の図が奉納されている。昭和31年死去。

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文献:青森県南部書画人名典




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