◎明治期の画家(4)
真崎半顛
秋田の画家。名は一郎。父は清之進。白竜の門人。明治32年7月15日、37歳で死去した。
岡見渓斎
明治3年生まれ。秋田市楢山の日本画家。本名は仲、岡見知康の子孫。小室怡々斎に師事。達磨と馬を得意とした。男鹿市戸賀の風景を好み、明治37年5月7日この地で死去した。
戸沢雪庵
天保13年仙北郡中仙町長野生まれ。本名は盛得、字は三亥。明治21年に横手在郷の柳田や大屋が合併して栄村になった時、翌年7月学の深さと知識の広さがかわれ村長に迎えられた。9年在任して明治30年に退任、横手市栄地区の基礎づくりに尽力し名村長とうたわれた。文人趣味の絵をよくし、代表作に《布袋》《鍾馗》などがある。明治38年死去。
和田翼亭
天保5年生まれ。通称は監物。高橋璞斎・那珂淇水に師事した。明治38年死去。
石井楽水
秋田市築地の画家。津村洞養に師事した。
田中素調
画家・俳人。津村洞養に師事した。
田中凌雪斎
秋田市築地の画家。津村洞養に師事した。
熊谷雪山
明治18年5月28日生まれ。本名は善松。由利町森子の円兵衛の三男。地元の三浦雪堂に師事、一字をもらい号とした。人物画が得意で、高砂、大黒、布袋、七福神など地域人に喜ばれるものを多く描き、地域集会場に《漁樵問答》が残っている。その隣地に草庵を建て住んでいた。昭和38年4月10日、79歳で死去した。
渋谷松香
長く大曲市に住んでいた。本名は渋谷松蔵。安政・嘉永の世情騒然としていた幕末に、ひょっこり大曲に現われて得意の絵筆を振るい人気を集めたという。明治22、3年頃に大曲を去って秋田市に移住し、その後の消息は不明といわれる。大曲では渋谷染め物店に宿り、「染めアンコ」または「松アンコ」という愛称で呼ばれていた。作品は大曲諏訪神社に《綱引き図》《大曲年中絵巻物》などが残っている。江戸の浮世絵を学んだことがあるらしく、美人画も多い。押絵、屏風絵、巻き物絵、幕など求められるままに描いた。
松岡白石
明治3年10月生まれ。角間川町大浦の士族。通称は剛造、諱は常綱、別号として雲舟、寒翠処がある。落合東堤に習い、横手の和知塾にも学んだ。12歳の頃に地獄図を描くほどに画才があり、たまたま大曲に来ていた芳泉蘭堂に認められ、明治27年頃に東京の菅原白竜に師事し「白石」の雅号をもらった。その後、京都の富岡鉄斎や鈴木松年に学び、明治39年、信州、上州、越後を通って故郷に戻った。京都時代に酒を飲むようになり、故郷では酒に酔い、制作欲にかられなければ筆をとらなかったことから「酒仙の風格」と噂された。明治43年12月死去。
秋田(12)-ネット検索で出てこない画家
文献:秋田書画人伝