山水・真景

岸駒・岸岱に学んだ加賀の岸派

2022/12/9  

森西園「青緑山水図」 文化5年(1808)、金沢城二ノ丸御殿が焼失し、その復興工事が翌年から行なわれた。御殿の障壁画制作のために江戸から狩野友益とその子・墨川が金沢に下り、地元の狩野派からは八代梅田九 ...

幕末明治の京都画壇で南画の普及に貢献した谷口藹山

2022/8/4  

谷口藹山「霜天晩興図」 谷口藹山(1816-1899)は、越中国新川郡鉾ノ木村(現在の立山町)の農家に生まれ、幼いころ富山町の分家に養子に出た。18歳の時に江戸に出て谷文晁の門に入り、文晁とその門下の ...

昭和前期に官展で活躍した新潟の南画家・白倉嘉入と横尾深林人

2022/6/6  

白倉嘉入「連山雲烟」 昭和前期に官展(帝展、新文展、日展)に出品した新潟出身の主な南画家としては、ともに小室翠雲に学び、ともに日本南画院の同人をつとめた白倉嘉入と横尾深林人がいる。 新発田市出身の白倉 ...

南画の近代化の一翼をになった田村豪湖

2022/4/25  

田村豪湖「赤壁之図」 田村豪湖(1873-1940)は、南魚沼郡中之島村(現在の新潟県南魚沼市)の農家の四男として生まれた。幼いころから絵を描くことが得意で、7歳の時に病により片足が不自由になったこと ...

上海領事館に勤務しながら南画を研究した大倉雨村

2022/4/18  

大倉雨村「早春之図」 大倉雨村(1846-1899)は、新潟町(現在の新潟市)の医師・大倉良庵の子として生まれ、幼いころから地元の絵師・松尾紫山に画を学んだ。父の没後は江戸に出て、さらに長崎に行き鉄翁 ...

頚城の異色南画家・東洋越陳人と磯野霊山

2022/4/13  

東洋越陳人「山水図屏風」 越後国中頸城郡三和村(現在の上越市)の農家に生まれた東洋越陳人(1836-1916)は、7歳の時に荻野退治の塾に入り経史を学んだ。漢詩の暗誦と習字が得意で、子どもとは思えない ...

北越戊辰戦争に参戦し自刃した勤皇の画家・村山半牧

2022/3/28  

村山半牧「山水図屏風」 越後国蒲原郡三条町(現在の新潟県三条市)に生まれた村山半牧(1828-1868)は、幼いころから画才を発揮し、17、8歳頃から父の郷里である小須戸町村の書塾で教えながら、墨竹な ...

長谷川嵐渓とともに幕末の越後画壇の双璧と称され多くの門人を育成した富取芳斎

2022/3/24  

富取芳斎「八木鼻之雪景」 富取芳斎(1808-1880)は、地蔵堂(現在の燕市)で酒造業や米穀問屋を営んでいた豪商の家に生まれ、9歳で五十嵐華亭に師事し、19歳の時に華亭の勧めで京都に出て中林竹洞につ ...

幕末の越後画壇で画名を高めた長谷川嵐渓

2022/3/22  

長谷川嵐渓「清和時節図」 長谷川嵐渓(1814-1865)は、蒲原郡三条町(現在の三条市)で醤油醸造を営んでいた会津屋吉右衛門の長男として生まれ、20歳頃に越後を訪れた漢学者・大槻磐渓に従って江戸に出 ...

諸国を遊学し越後南画の先駆者となった石川侃斎

2022/3/14  

石川侃斎「蘭亭曲水之図」新潟市歴史博物館蔵 石川侃斎(1764-1840)は、新潟町(現在の新潟市)の役人の家に生まれ、幼いころから書画を好んでいたが、地元では特定の師匠についた形跡はなく、若い時から ...




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