UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま北関東地方を探索中。

「山水・真景」 一覧

京都で活躍した庄内出身の南画家・服部五老と二柳

鶴岡に生まれた服部五老は、京都で田能村直入に師事し、日本南画院の同人として活躍した。全盛時は、橋本関雪、竹内栖鳳らと並び称され、画の注文が殺到したという。豪壮な邸宅に住み、生活は豪奢を極め、来客が絶え ...

山形画人として最も多くの作品を残したとされる小松雲涯

中山町の農家に生まれた小松雲涯は、幼いころから画を好み、14、5歳で画家を目指すようになった。はじめ同郷の服部武陵に画技を学び、のちに江戸に出て春木南溟に師事した。明治20年、56歳で帰郷した後は見崎 ...

日本画革新運動のなかで日本的南画の開拓に尽力した菅原白龍

現在の長井市に生まれた菅原白龍は、9歳頃から『北斎漫画』を見て独学し、11歳の時に初めて長沼月峰、渡辺玄渓について南画を学んだ。その後家出して江戸に行き熊坂適山に師事、その後も長井と江戸を往復しながら ...

文化・文政期の漆山陣屋付き絵師・設楽東玉斎

文化・文政期に活躍した山形・村山地方の絵師に、漆山村(現在の山形市)の設楽東玉斎がいる。東玉斎は、天童奈良沢の菱沼家に生まれ、のちに漆山の設楽家に入り設楽姓を名乗るようになった。生い立ちは不明だが、生 ...

庄内地方の南画家

庄内藩では、藩の絵師のほかに絵をたしなむ藩士が多かった。石井子龍は、絵を同藩の氏家龍渓に学び、のちに藩医で書家でもあった重田道樹に学んだ。生涯酒を好んで奇行が多かったとされ、金峯山麓の渓流の上に庵を結 ...

目賀多家で最も傑出した名人と伝えられる目賀多雲川信済

文政・天保の頃、米沢藩御用絵師の家系・目賀多家の分家である南目賀多家から出た目賀多雲川信済は、南・北目賀多家を通じてもっとも傑出した名人と伝えられている。瘦せ肉の体格ながらも、豪放にして酒を愛し、雪舟 ...

米沢藩の御用絵師・目賀多雲川守息

米沢藩の御用絵師をつとめた目賀多家は、幕末にいたるまで代々江戸の鍛冶橋狩野家に入門して画技を習得し、狩野派の画風を継承した。目賀多家は二家あり、本家である幽雲系を北目賀多、分家である雲川系を南目賀多と ...

人生の大半を旅に費やした本荘藩御用絵師・増田九木

由利・本荘地方は、本荘狩野といわれる独自の絵画圏をつくり、狩野派が大きな勢力を持っていたが、谷文晁系の南画を学んだ増田九木は、長い旅の末に広く画名をあげ、帰郷後には藩御用絵師として活躍した。 増田九木 ...

仙台藩御用絵師・荒川如慶とその画系

仙台藩御用絵師をつとめた家系のうち、江戸中期、後期において活躍をみせるのは、荒川家と菊田家で、両家は藩御用絵師としての家系を幕末まで維持した。 荒川家は、仙台藩五代藩主・吉村の時に御用絵師として仕えた ...

江戸後期の盛岡藩を代表する絵師・川口月嶺

川口月嶺(1810-1871)は、現在の秋田県鹿角市花輪(旧盛岡藩領)に生まれ、江戸で四条派を学んだのち、藩主・南部利済の御側役として盛岡城大奥の障壁画制作などに携わった。それまでの藩内の主流は狩野派 ...

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