画人伝・大阪 山水・真景

山水の小景を鑑賞する占景盤が評判となった墨江武禅

墨江武禅 左:「青緑山水図」、右:「山水図」

墨江武禅 左:「青緑山水図」、右:「山水図」

墨江武禅(1734-1806)は、舟運業者が集住していた大坂の船町に住み、上荷船の運航に携わっていたが、のちに天目釜彫物を学び、彫金を手掛けた。さらに月岡雪鼎に画を学び、宋元の古蹟を研究して一家をなした。安永6年版『難波丸網目』には鍔師として名があり、40歳頃には絵と刀装具の双方に名があった。

画業の前半期には雪鼎風の美人画や春画巻がある一方で、後半期には中国風の山水画が多くを占め、宋元画を手本に描いたと伝わっている。文化初年には、山水の小景をこしらえて鑑賞する占景盤を手掛けて評判となり、作例と技法を記した『占景盤図式』が子の愛山によって刊行された。酒を嗜み、終生清貧に甘んじたという。

墨江武禅(1734-1806)すみのえ・ぶぜん
享保19年生まれ。大坂の人。名は道寛、または寛、字は子全、通称は与兵衛、荘蔵。別号に蒙斎、蒙蒙斎(朦朦斎)、心朦斎、心月、墨江斎などがある。はじめ船頭をしていたが、のちに天目釜彫物を学び、彫金を手掛けた。さらに月岡雪鼎に画を学び、宋元の古蹟を研究して一家を成した。子の墨江敬処も画人となった。著書に『占景盤』『鉢山図会』『占景盤図式』などがある。文化3年、73歳で死去した。
参考:UAG美術家研究室(墨江武禅)

大阪(41)-画人伝・INDEX

文献:絵草紙に見る近世大坂の画家、近世大阪画壇、サロン!雅と俗:京の大家と知られざる大坂画壇、大阪名家著述目録、近世の大坂画壇、近世の大阪画人




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