山水・真景

近世前期の広島画壇で主流として活躍した雲谷派

2021/7/9  

雲谷等顔「四季山水図」 近世前期の広島画壇の主流は、毛利氏・福島氏に仕えた雲谷派だった。雲谷派の祖である雲谷等顔(1547-1618)は、雪舟や雪舟系の作風を学び、雪舟三代を標榜した。文禄2年、毛利輝 ...

岡山の近代南画家、柚木玉邨と久我小年

2021/7/9  

柚木玉邨「山水図」 浅口郡玉島の旧家に生まれた柚木玉邨(1865-1943)は、東京帝国大学農学部卒業後、多くの会社や銀行の重役をつとめ、岡山県農業会で幹事兼技師として働くなど、地元の経済界に大きな足 ...

浮世絵師から津山藩御用絵師になった鍬形蕙斎

2021/7/9  

鍬形蕙斎「江戸名所の絵」 江戸の畳職人の家に生まれた鍬形蕙斎(1764-1824)は、浮世絵北尾派の祖・北尾重政の門に入り、17歳の時から北尾政美の名で浮世絵師として活躍していたが、31歳の時に美作国 ...

美作の南画家、広瀬臺山・飯塚竹斎と門人

2021/7/9  

広瀬臺山「蓬莱山図」 美作の南画家としては、広瀬臺山(1751-1813)が代表的存在である。臺山は、津山藩士の子として同藩大坂屋敷に生まれ、16歳から福原五岳に師事して南画の道に入った。29歳で家督 ...

浦上春琴と岡山の門人

2021/7/9  

浦上春琴「僊山清暁図」 父・浦上玉堂が、巧みに描こうとせず、心の動きのままに筆をとり、自らが専門画家であることを恥じて、それを拒否していたのとは対照的に、子の浦上春琴(1779-1846)は、如才のな ...

岡山近世画人として最大の存在・浦上玉堂

2021/7/9  

浦上玉堂「山水図」(煙霞帖)重文 岡山ゆかりの近世画人として最大の存在は、浦上玉堂(1745-1820)だろう。玉堂は、もともと鴨方藩の武士だったが、風雅の道を求めて50歳になる年に脱藩した。脱藩の理 ...

讃岐の円山四条派

2022/9/3  

左:馬場景泉「日の出花鳥図」、右:森琴岳「青緑山水図」 讃岐における円山四条派の系譜をみると、まず安芸雲峰の名があげられる。雲峰は寒川郡津田の豪商の家に生まれ、寛政享和年間に活躍した。幼くして円山応挙 ...

讃岐の南蘋派、三木文柳・亀井東溪・戸塚茗溪

2022/9/3  

三木文柳「鮮魚図(鯛鱸海老図)」 讃岐の南蘋派画人としては、三木文柳(1716-1799)と亀井東溪(1748-1816)が知られている。文柳は、もと阿波の藩士で、幼いころから画を好み、京都に出て修業 ...

讃岐南画の祖・長町竹石と門人

2022/9/3  

長町竹石「舟曳山水図」 高松藩の家老だった木村黙老が著した『聞ままの記』によると「田中松峯、名ハ正路、號を五峰といふ醤なり京師に遊学して大雅堂(池大雅)に書画を学ふ、當国の漢画ハ我始祖なりといへり」と ...

伊予の南画、全盛から現代南画へ

2021/7/9  

林涛光 左:「石槌画賛」賛:半井梧菴、右:「面白の滝画賛」賛:半井梧菴 吉田蔵澤(1722-1802)やその門人たちによって確立されていった伊予南画は、しだいに広がりを見せる。小松藩絵師となった森田南 ...




© 2024 UAG美術家研究所 Powered by AFFINGER5