-
備前岡山藩の狩野派
2021/7/24
池田綱政「文殊図」 備前岡山藩の御用絵師は、狩野三徳、狩野自得、長谷川常時の狩野派三家が代々つとめていたされるが、狩野守則、長谷川常時、長谷川常宇らの作品が少数残っているのが確認される程度で、伝わる資 ...
-
室町水墨画の最高峰・雪舟
2021/7/9
雪舟「恵可断臂図」(重文) 岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中 ...
-
高松藩の狩野派、元祖・狩野常眞と高松藩御用絵師の系譜
2022/9/3
狩野常眞「叭々鳥図」 江戸時代は幕府の御用絵師に狩野派が登用されていたため、全国的に狩野派の絵師を召し抱える藩が多く、高松藩においても二代藩主松平頼常の頃、もしくは初代頼重の終わり頃に、狩野派の絵師・ ...
-
狩野派唯一の「村狩野」・今村道之進
2021/7/9
文化文政の頃、東予一帯で活躍した狩野派の画人に今村道之進(1761-1830)がいる。道之進は、宝暦11年宇摩郡中曽根村に生まれ、21歳の時に京都に出て、狩野探幽の流れを汲む京都鶴沢派に学び、27歳で ...
-
西条藩絵師・小林西台と各藩の狩野派
2022/9/5
小林西台「花鳥之図」 木挽町狩野の流れは伊予の地に急速に広がり、大洲藩にやや遅れて西条藩からは小林西台(1794-1854)が出た。西台は、大洲藩の若宮養徳(1754頃-1834)と同じ木挽町狩野の門 ...
-
大洲藩御用絵師・若宮養徳とその門人
2022/9/5
加藤泰恒・文麗親子から引き継がれた木挽町狩野の流れは、木挽町狩野七代・狩野養川院惟信に学んだ大洲藩絵師・若宮養徳と、その門人たちによって、伊予大洲の地に伝えられた。かれらの絵画は大洲藩主ゆかりの如法寺 ...
-
江戸木挽町狩野と伊予大洲藩の文人大名
2022/9/5
加藤文麗「唐人龍虎図」 江戸時代も中頃を過ぎると、伊予の各藩では常任の絵師をおくことが一般化し、藩主自らが絵筆を握る文人大名も現れるようになった。大洲藩三代藩主・加藤泰恒は、江戸木挽町狩野二代・狩野養 ...
-
江戸浜町狩野と松山藩御用絵師
2022/9/5
豊田随可「鷹ニ芦雁之図」 二代で終わった松本山雪・山月の後を受けて松山藩の御用絵師となったのは、豊田随園、武井周発、豊田随可の三代、三人である。かれらは江戸の浜町狩野家初代・狩野随川岑信、そして二代・ ...
-
伊予松山藩御用絵師・松本山雪
2022/9/5
松本山雪「武人図」 桃山時代から江戸初期にかけて各地で築城が盛んになり、城内を勇壮に飾り立てる画才を持った絵師の存在が重要になった。伊予の地にはまだそのような絵師が育っておらず、武将たちは京や伏見・大 ...
-
宮田洞雪と門人
2021/7/9
左:宮田洞雪「清正公図」高知県立美術館蔵、中:沖野一秋「万歳図」高知県立美術館蔵、右:河野棹舟「千代の鏡」高知県立美術館蔵 駿河台狩野家に学んだ土佐の画人として、柳本洞素と同時代に活躍した宮田洞雪(1 ...