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藩御用絵師から初期秋田画壇の中心人物になった津村洞養
2021/7/6
津村洞養「司馬温公」 津村洞養(1834-1905)は、祖父、父と続いた秋田藩御用絵師の家に生まれ、はじめ父に学び、嘉永5年に江戸に出て、狩野洞庭、狩野洞白に学び、さらに河鍋暁斎について本格的に絵の修 ...
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秋田の円山四条派・平福穂庵門の三羽ガラス
2021/7/6
辻九皐「鷲」 秋田の円山四条派としては、長山孔寅、川口月嶺、柴田南谷、平福穂庵を中心に、多くの画家たちが出ており、寺崎広業、平福百穂も画系からみれば、この流派に属する。 角館の呉服屋に生まれた辻九皐は ...
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写生を重んじ、中央画壇でも活躍した平福穂庵
2021/7/6
平福穂庵「乞食図」明治13年の龍池会主催「観古美術会」に出品された穂庵の出世作。角館の奇人・小田野弥六をモデルにしたとされる。 角館に生まれた平福穂庵は、幼いころから郷里の四条派の画家・武村文海に学び ...
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角館に四条派を移入した武村文海
2021/7/6
武村文海「鶏」 秋田藩内で盛んになった円山四条派の絵は、柴田南谷や川口月嶺によって広まったものと思われ、幕末から明治にかけて中央画壇でもその画名を知られるようになった角館の平福穂庵も、川口月嶺の影響を ...
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横手の円山四条派・柴田南谷、楳溪、松谷の三代
2021/7/6
柴田松谷「小禽図」 大坂画壇での長山孔寅の活躍は、秋田で四条派が普及する導火線になったと思われるが、系統として円山四条派の絵画を秋田藩内に広めたのは、江戸で学んだ横手の柴田南谷らとされる。 柴田南谷( ...
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呉春に師事し大坂画壇で活躍した長山孔寅
2021/7/6
長山孔寅「双鹿」 秋田出身の四条派の初期画人としては、京都に出て呉春に学び、のちに大坂画壇で活躍した長山孔寅(1765-1849)がいる。孔寅は、12歳で角館の酒屋・久田屋に奉公し、のちに秋田の那波呉 ...
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人生の大半を旅に暮らし各地で得た見聞や体験を日記や地誌に描き残した菅江真澄
2021/7/6
『菅江真澄遊覧記』5-18 牡鹿の寒風(文化7年7月から翌正月までの日記)この日記には、男鹿大地震の様子が記録されている。正月は宮沢(若美町)で迎え、なまはげの様子を説明している。 三河国で生まれた菅 ...
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人生の大半を旅に費やした本荘藩御用絵師・増田九木
2021/7/6
左:増田九木「良寛図」、右:増田象江「男鹿飛島眺望図」 由利・本荘地方は、本荘狩野といわれる独自の絵画圏をつくり、狩野派が大きな勢力を持っていたが、谷文晁系の南画を学んだ増田九木は、長い旅の末に広く画 ...
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本荘市永泉寺山門に「天女」を描いた4人の絵師
2021/7/6
上:牧野雪僊「鼓飛天図」、2番目:増田象江「太鼓飛天図」、3番目:阿部永暉「持蓮華飛天図」、下:鈴木梅山「散華飛天図」 本荘市の永泉寺山門は、本荘藩最後の藩主・六郷政鑑の時代に、永泉寺六世義門達宣の発 ...
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大地震で隆起する前の「象潟」を描いた本荘画工の始祖・牧野永昌
2021/7/6
牧野永昌「象潟図屏風」(上:右隻、下:左隻)秋田県指定重要文化財 本荘藩御用絵師の初代である牧野永昌(1747-1823)は、秋田狩野の祖とされる狩野定信とは別系統に属する狩野派の絵師で、いわゆる本荘 ...