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日本画における新古典主義的画風を確立した小林古径
2024/12/11
小林古径「機織」東京国立近代美術館蔵 小林古径(1883-1957)は、新潟県中頚城郡高田土橋町(現在の上越市)に生まれた。11歳頃に山田於菟三郎に画の手ほどきを受け、ついで青木香葩に学び、明治32年 ...
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初期の東京美術学校で学んだ新潟出身の日本画家、佐々木林風・西方春叢・桐谷洗鱗
2025/3/27
左:佐々木林風「狩猟」東京芸術大学芸術資料館蔵右:西方春叢「唐美人」東京芸術大学芸術資料館蔵 明治20年に創設された東京美術学校の日本画科で学んだ新潟出身の画家としては、佐々木林風、西方春叢、桐谷洗鱗 ...
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新潟への最初の外国船渡来を描いた井上文昌
2022/4/11
井上文昌「新潟湊之真景」 井上文昌(1818-1863)は、新潟町(現在の新潟市)で代々町役人をつとめていた井上家に生まれ、江戸の谷文晁に入門し、文晁の高弟・遠坂文雍(1783-1852)に画を学んだ ...
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幕末の新潟町で中心的な画人として活躍した行田魁庵
2022/4/8
行田魁庵「新潟入船之図」 新潟神明宮の神官の子として生まれた行田魁庵(1812-1874)は、幼いころから絵を好み、新潟の町絵師・志賀北洋に手ほどきを受けたのち、一ノ木戸村の神明宮神官で従兄にあたる行 ...
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新潟風俗を描いた絵巻物「蜑の手振り」を制作した初代新潟奉行・川村修就
2022/4/6
「蜑の手振り」1景「新潟海岸のイワシ網漁」 「蜑の手振り」2景「新潟湊祭の行列」 「蜑の手振り」3景「新潟町の盆踊の行列」 「蜑の手振り」4景「信濃川の鮭網漁」 「蜑の手振り」5景「鳥屋野潟のがたがた ...
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新感覚派と注目されたが37歳で戦死した島崎鶏二
2022/2/14
島崎鶏二「水」 島崎鶏二(1907-1944)は、島崎藤村の二男として東京浅草に生まれ、15、6歳の頃から2年間、信州木曽馬籠で農業を手伝うかたわら絵を描く生活を送った。その後、川端画学校に入学して藤 ...
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洋画研究所を開設し中信の洋画普及に貢献した宮坂勝
2022/2/4
宮坂勝「スケート」 宮坂勝(1895-1953)は、南安曇野郡倭村(現在の松本市梓川)の酒造家の二男として生まれ、旧制松本中学校卒業後は、東京美術学校西洋画科に進学した。卒業後、大正12年に渡仏、アカ ...
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素朴な画風で「日本のルソー」と呼ばれた横井弘三
2022/1/26
横井弘三「私と焼き絵研究」 下伊那郡飯田町(現在の飯田市)に生まれた横井弘三(1889-1965)は、3歳頃に家族で上京し、東京下町で育った。私立大成中学校在学中から東京美術学校への進学を希望していた ...
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日本近代美術の発展に関与し続けた石井柏亭
2024/12/11
石井柏亭「滞船」 石井柏亭(1882-1958)は、明治期に日本初の洋画団体・明治美術会やその後継団体である太平洋画会に出品し、大正期には日本水彩画会や二科会の創立に参加、昭和期には一水会を組織するな ...
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パリからの帰国後、漆工芸に新境地を拓いた小澤秋成
2022/1/11
小澤秋成「黄色い家」 上伊那郡南箕輪村に生まれた小澤秋成(1886-1954)は、松本中学校を経て、東京美術学校日本画科に進み、明治44年同校図画師範科を卒業した。同年の卒業生に諏訪出身の矢沢弦月がい ...
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精巧な素描を残して23歳で夭折した倉田弟次郎
2021/12/24
倉田弟次郎「農家庭先」木炭/紙 埼玉県立近代美術館蔵 倉田弟次郎(1870-1894)は、旧佐倉藩士で漢学者の倉田幽谷の第二子として埼玉県浦和に生まれた。本来立見姓だったが、父の幽谷が立見一族のなかの ...
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山本鼎に共鳴して信州上田に移り住んだ倉田白羊
2021/12/20
倉田白羊「たき火」 倉田白羊(1881-1938)は、旧佐倉藩士で漢学者の倉田幽谷の第三子として埼玉県浦和に生まれた。23歳で早世した兄・弟次郎の遺志をついで画家を志し、遠縁にあたる浅井忠に師事し、浅 ...
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飯田を訪れた富岡鉄斎に師事した安藤耕斎
2021/10/22
左から、安藤耕斎「東坡三養図」「山庭夏涼図」「蝦蟇・鉄拐仙人図」 伊那谷には、古くから白隠や谷文晁ら多くの文人墨客が訪れ、この地の若者たちに大きな影響を与えているが、明治8年に初めて飯田を訪れた富岡鉄 ...
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古曳盤谷門下の三筆、藤森桂谷・窪田松門・丸山素屋
2025/2/26
藤森桂谷「南瓜之図」 古曳盤谷は松本の飯田町に寄寓し、医業のかたわら南画や漢詩文の家塾を開き、多くの門人を育てた。主な門人としては、啓蒙運動家として活動し、国民教育の先覚者でもあった藤森桂谷、自由民権 ...
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松本における近代日本画の基礎を築いた仙石翠淵
2021/9/3
仙石翠淵「養蚕の図」 仙石翠淵(1801-1885)は、筑摩郡埴原村(現在の松本市中山)に生まれた。生家は、胡桃澤膏薬本舗として近郷に知られていた。幼いころから書画を好み、独学で画を学んだが、49歳の ...
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ペリー応接に同席し写生した松代藩医師・高川文筌
2021/8/25
高川文筌「米利堅人等写真図」 嘉永6年(1853)、ペリー率いるアメリカ艦隊が浦賀に現れると、松代藩は品川に設けられた台場の警衛を担当し、翌7年のペリー再来航でも、横浜に設けられた応接場の警衛を小倉藩 ...