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新潟風俗を描いた絵巻物「蜑の手振り」を制作した初代新潟奉行・川村修就
2022/4/6
「蜑の手振り」1景「新潟海岸のイワシ網漁」 「蜑の手振り」2景「新潟湊祭の行列」 「蜑の手振り」3景「新潟町の盆踊の行列」 「蜑の手振り」4景「信濃川の鮭網漁」 「蜑の手振り」5景「鳥屋野潟のがたがた ...
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新感覚派と注目されたが37歳で戦死した島崎鶏二
2022/2/14
島崎鶏二「水」 島崎鶏二(1907-1944)は、島崎藤村の二男として東京浅草に生まれ、15、6歳の頃から2年間、信州木曽馬籠で農業を手伝うかたわら絵を描く生活を送った。その後、川端画学校に入学して藤 ...
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洋画研究所を開設し中信の洋画普及に貢献した宮坂勝
2022/2/4
宮坂勝「スケート」 宮坂勝(1895-1953)は、南安曇野郡倭村(現在の松本市梓川)の酒造家の二男として生まれ、旧制松本中学校卒業後は、東京美術学校西洋画科に進学した。卒業後、大正12年に渡仏、アカ ...
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素朴な画風で「日本のルソー」と呼ばれた横井弘三
2022/1/26
横井弘三「私と焼き絵研究」 下伊那郡飯田町(現在の飯田市)に生まれた横井弘三(1889-1965)は、3歳頃に家族で上京し、東京下町で育った。私立大成中学校在学中から東京美術学校への進学を希望していた ...
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日本近代美術の発展に関与し続けた石井柏亭
2023/9/28
石井柏亭「滞船」 石井柏亭(1882-1958)は、明治期に日本初の洋画団体・明治美術会やその後継団体である太平洋画会に出品し、大正期には日本水彩画会や二科会の創立に参加、昭和期には一水会を組織するな ...
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パリからの帰国後、漆工芸に新境地を拓いた小澤秋成
2022/1/11
小澤秋成「黄色い家」 上伊那郡南箕輪村に生まれた小澤秋成(1886-1954)は、松本中学校を経て、東京美術学校日本画科に進み、明治44年同校図画師範科を卒業した。同年の卒業生に諏訪出身の矢沢弦月がい ...
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精巧な素描を残して23歳で夭折した倉田弟次郎
2021/12/24
倉田弟次郎「農家庭先」木炭/紙 埼玉県立近代美術館蔵 倉田弟次郎(1870-1894)は、旧佐倉藩士で漢学者の倉田幽谷の第二子として埼玉県浦和に生まれた。本来立見姓だったが、父の幽谷が立見一族のなかの ...
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山本鼎に共鳴して信州上田に移り住んだ倉田白羊
2021/12/20
倉田白羊「たき火」 倉田白羊(1881-1938)は、旧佐倉藩士で漢学者の倉田幽谷の第三子として埼玉県浦和に生まれた。23歳で早世した兄・弟次郎の遺志をついで画家を志し、遠縁にあたる浅井忠に師事し、浅 ...
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飯田を訪れた富岡鉄斎に師事した安藤耕斎
2021/10/22
左から、安藤耕斎「東坡三養図」「山庭夏涼図」「蝦蟇・鉄拐仙人図」 伊那谷には、古くから白隠や谷文晁ら多くの文人墨客が訪れ、この地の若者たちに大きな影響を与えているが、明治8年に初めて飯田を訪れた富岡鉄 ...
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古曳盤谷門下の三筆、藤森桂谷・窪田松門・丸山素屋
2023/4/29
藤森桂谷「南瓜之図」 古曳盤谷は松本の飯田町に寄寓し、医業のかたわら南画や漢詩文の家塾を開き、多くの門人を育てた。主な門人としては、啓蒙運動家として活動し、国民教育の先覚者でもあった藤森桂谷、自由民権 ...
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松本における近代日本画の基礎を築いた仙石翠淵
2021/9/3
仙石翠淵「養蚕の図」 仙石翠淵(1801-1885)は、筑摩郡埴原村(現在の松本市中山)に生まれた。生家は、胡桃澤膏薬本舗として近郷に知られていた。幼いころから書画を好み、独学で画を学んだが、49歳の ...
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ペリー応接に同席し写生した松代藩医師・高川文筌
2021/8/25
高川文筌「米利堅人等写真図」 嘉永6年(1853)、ペリー率いるアメリカ艦隊が浦賀に現れると、松代藩は品川に設けられた台場の警衛を担当し、翌7年のペリー再来航でも、横浜に設けられた応接場の警衛を小倉藩 ...
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パリの人々の生活を描いた増田誠
2021/8/2
増田誠「モンパルナスの夜」 増田誠(1920-1989)は、山梨県南都留郡谷村町(現在の都留市)に生まれた。幼いころから絵が得意で、中学時代には「似顔絵の天才」といわれていたという。昭和16年に従軍、 ...
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洋画から転じ水墨画に新境地を拓いた近藤浩一路
2023/9/27
近藤浩一路「鶏冠井青嵐」 近藤浩一路(1884-1962)は、山梨県南巨摩郡睦合村(現在の南部町)に生まれ、3歳の時に病弱な父の療養のため一家で静岡県岩渕村(現在の富士市岩淵)に転居した。幼いころから ...
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日本南画の先駆者のひとり・柳沢淇園
2021/7/5
柳沢淇園「睡童子図」 大和郡山藩で柳沢吉里・伊信の二代に任えた柳沢淇園(1703-1758)は、早熟多才で、なかでも画才に恵まれ、8、9歳頃から狩野派を学んでいたが、12、3歳の時には狩野派を骨髄を得 ...
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24歳の時に行方不明となった幻の版画家・藤牧義夫
2021/7/5
藤牧義夫「赤陽」東京国立近代美術館蔵 藤牧義夫(1911-1935)は、明治44年、群馬県邑楽郡館林町(現在の館林市城町)に生まれた。2歳の時に実母を亡くし、13歳の時には父親も病没した。さらに、16 ...