- UAG美術家研究所HOME >
- yuagariart
yuagariart
江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2021/7/5
岡田晴峰「仙山瑤濤」 日本南画院の創立に参加するなど南画の普及につとめた小室翠雲は、明治36年、自宅に私塾「環堵画塾」を開設し、門人を集めて南画の技法を教えた。同塾解散後の昭和15年には、新旧門下生を ...
2021/7/5
岸浪百艸居「岩と流れ(俯瞰構図)」 南画家・岸浪柳渓の二男として館林に生まれた岸浪百艸居(1889-1952)は、3歳の時に両親の離婚により父柳渓とともに金沢に移り住んだ。金沢では伯母夫妻に預けられて ...
2021/7/5
岸浪柳渓「陶淵明帰去来・弾琴図」 岸浪柳渓(1855-1935)は、仙台藩士の医師・岩浪広盟(謙輔)の三男として、江戸下谷に生まれた。幼いころ、風疹と麻疹のため聴力を失った。10歳の時から5年間を仙台 ...
2021/7/5
左:小室翠雲「寒林幽居」宮内庁三の丸尚蔵館蔵右:小室翠雲「谿山清暁」 小室翠雲(1874-1945)は、館林町(現在の群馬県館林市)の呉服商の家に生まれた。館林藩御用達商人をつとめていた小室家から分家 ...
2021/7/5
大出東皐「山の小川の春」 江戸神田に生まれた大出東皐(1841-1905)は、3歳の時に父に従って桐生に移り住んだ。8歳のころから三輪神社小島宮司のもとに通って書法を習い、天満宮神官・前原互瀬について ...
2021/7/24
新井洞巌「秋渓漁夫図」新井洞巌「寒山晩晴」 新井洞巌(1866-1948)は、群馬県吾妻郡原町(現在の吾妻町)の刀研ぎの家に生まれた。はじめ長井雲坪、四谷延陵に学び、19歳の時に伊香保温泉に逗留中の菅 ...
2021/7/5
青柳琴僊「十六羅漢図」嶽林寺蔵 青柳琴僊(1867-1962)は、月夜野(現在の群馬県利根郡みなかみ町)の農家の長男として生まれた。6歳頃から父について読書、算術を学び、10歳頃から絵を描きはじめ、1 ...
2021/7/5
林青山「みなかみ町・廣福寺の天井画」(部分) 群馬県利根郡桃野村上津(現在のみなかみ町上津)に生まれた林青山(1847-1933)は、6歳で藤岡の法橋重信の門に入り、絵の勉強をはじめ、13歳の時に湯の ...
2021/7/5
青木翠山「山水図」 青木翠山(1842-1896)は、沼田藩士の長男として、利根郡沼田(現在の群馬県沼田市西原新町)に生まれた。幼いころから平等寺の住職・井上無蓋に絵を学び、紙凧や羽子板に絵を描いて家 ...
2021/7/5
武居梅坡「雲龍図」大雲寺蔵 武居梅坡(1831-1905)は、高崎新田町に生まれた。幼いころから画を好み、6歳のころには草双紙などの挿絵を模写することを娯しみとしていたという。12歳の時に高崎藩士で南 ...
2021/7/5
松本宏洞「秋浦帰帆之図」玉寿文庫蔵 松本宏洞(1827-1911)は、佐波郡大正寺村(現在の伊勢崎市大正寺町)の名族の家に生まれた。7歳から書をはじめ、10歳で儒教の経典である五経を素読したといわれる ...
2021/7/5
矢島群芳「四季花鳥図」(左:春、右:夏)高崎市蔵 矢島群芳「四季花鳥図」(左:秋、右:冬)高崎市蔵 高崎藩士・矢島兵左衛門定喜の子として江戸藩邸に生まれた矢島群芳(1798-1869)は、幼いころから ...
2021/7/5
金井烏洲「米法山水図」米法とは、米点法ともいい、中国北宋の画家・米芾があみだし、その子・米友仁(米虎兒)によって継承された水墨画の描法で、輪郭線や色面ではなく、墨の筆点によって描く点描法のひとつ。本作 ...
2021/7/5
千輝玉斎「豊年満作襖絵」(水争いの部分) 千輝玉斎「豊年満作襖絵」(田植えの部分)「豊年満作襖絵」は四枚仕立ての襖絵。万延元年の制作で、上野国の農民の暮らしぶりを伝えている。 千輝玉斎(1790-18 ...
2021/7/5
北尾重光「大工図」館林市赤城神社当時の人々のくらしや生業の様子を描いた生業図は、北尾重光の絵馬の特徴のひとつで、かつての人々の生活の実情をうかがい知ることができる。 江戸に生まれた北尾重光(1814- ...
2021/7/5
一椿斎芳輝「初市(高崎・木屋)」 一椿斎芳輝(1808-1891)は江戸日本橋の町人の子として生まれた。幼いころから絵を好み、15、6歳の時に谷文晁の門に入り、北年と号した。その後、20歳頃に高崎の旅 ...
© 2025 UAG美術家研究所 Powered by AFFINGER5