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ワーグマンに洋画を学んだ松野治敏

松野治敏「父の肖像」

青森県で一番早く洋画を学んだのは、英国人のチャールズ・ワーグマンから教えを受けた弘前出身の松野治敏といわれている。松野は、弘前藩のフランス式訓練を受けるために入隊し、東京から教官として来ていた芳野保次郎と出会った。芳野はまもなく帰京したが、松野の所属していた部隊が明治5年に近衛師団編入となり、松野も上京。そこで芳野と再会し、彼の紹介でワーグマンから洋画を習うことになった。松野は除隊後の明治14年に青森に帰るが、材料が得られなかったため、2、3の作品を残しただけで、青森に洋画の技法が定着することはなかった。

チャールズ・ワーグマンは、元陸軍大尉で、退役後にイラストレーテッド・ロンドン・ニュースの特派員画家となり、文久元年に来日していた。本格的は油絵画家ではなかったが、高橋由一をはじめとする日本の黎明期の洋画家たちが教えを受けており、そのためにワーグマンは近代日本洋画の最初の師といわれている。

松野治敏(1851-1908)まつの・はるとし
嘉永4年弘前市茂森生まれ。藩学稽古館で皇漢学を学び、明治4年に入隊。そこに着任した教官・芳野保次郎と親しく交友。明治5年松野の所属する部隊が近衛師団編入となり東京に移ったため上京、芳野と再会し、芳野の紹介でチャールズ・ワーグマンに洋画を習う。東京在勤3年で名古屋に移り、ついで熊本、金沢に移った。明治14年弘前に帰り、明治22年町村制施行に伴い初代村長をつとめる。初代の西目屋郵便局長もつとめた。また、私塾を開設して子弟の教育にあたった。明治41年、57歳で死去した。

青森(33)-画人伝・INDEX

文献:青森県史 文化財編 美術工芸、青森県史叢書・近現代の美術家、 青森県近代洋画のあゆみ展、津軽の美術史




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