
歌川春貞「祇婦図」(部分)
京都の風俗画家として知られる春貞には二代あり、初代は保川氏で、米商を生業としていたが、絵師を志し、特に肉筆美人画をよくした。二代はその門下の岡本氏で、画名ははじめ信貞といったが、師の遺言によって二代春貞を襲名、のちに江戸の歌川国芳に学んで歌川春貞と称した。明治以降は、本姓の岡本に復するとともに名を春暉と改めた。また、高橋由一について洋画を学び、肖像画の収集や模倣を行なったという。
保川春貞(初代)(1798-1849)やすかわ・はるさだ
寛政10年生まれ。京都の人。生家は代々米商だった。文化末頃から没年まで活躍した。役者絵や美人画、風景画、おもちゃ絵と幅広い分野で作画した。京都では珍しく大判錦絵の作品を残している。嘉永2年、52歳で死去した。
歌川春貞(1830-1887)うたがわ・はるさだ
天保元年生まれ。京都の人。本姓は岡本、俗称は正太郎。嘉永年間から明治期に活躍し、肉筆浮世絵を描いた。はじめ保川春貞に学び、のちに江戸の歌川国芳に入門し歌川姓を名乗った。国芳の門人になってからも上龍系の京風美人を描き続けた。明治以降は本姓の岡本春暉の名で活動した。明治20年、58歳で死去した。
京都(133)-画人伝・INDEX
文献:上方の浮世絵、肉筆浮世絵第9巻







