
長沢蘆洲「虎ニ岩浪図」慶徳院蔵
長沢蘆洲(1767-1847)は、長沢蘆雪に師事し、その後養子となり、蘆雪没後は長沢家の当主として活躍したことで知られている。師風を忠実に受け継いだが、師の蘆雪が豪放磊落な性格で奇想天外な筆致をみせたのに対し、それを優しく穏やかにしたような絵画世界を創り出した。『平安人物志』に文化10年版以後3版に掲載されていることから、その当時、相当に活躍していたと思われるが、その間のことはほとんど不明である。
慶徳院には、「虎ニ岩浪図」(掲載作品)をはじめ、「花鳥図」「竹林茅屋図」「山水図」「竹に鶴図」など全部で44面が残されている。これらの制作時期は、客殿の改築がなされた享和4年と考えられており、これは養父・蘆洲の没後5年を経た時期にあたることから、本作は長沢家の当主としての責務を果たした大作と考えられている。
長沢蘆洲(1767-1847)ながさわ・ろしゅう
明和4年生まれ。丹波の人。名は鱗、字は呑江。別号に南暁がある。長沢蘆雪に師事し、養子となった。人物花鳥をよくし、家法をよく伝えたという。花山院の家臣だったという。弘化4年、81歳で死去した。
京都(115)-画人伝・INDEX
文献:京都画壇の一九世紀(2)







