画人伝・京都 花鳥画

江戸から京都に移り探幽風を京都に広めた鶴沢探鯨

鶴沢探鯨「桜雉子・梅金鶏図屏風」香川・円明院(京都国立博物館寄託)

鶴沢探鯨「桜雉子・梅金鶏図屏風」香川・円明院(京都国立博物館寄託)

鶴沢探鯨(1687-1769)は、狩野探幽の門人・鶴沢探山の実子として江戸に生まれ、探幽の画風を学んだのち、元禄期頃に京都に移り住み、探幽風を京都に広めた。禁裏の御用をつとめ、父とともに宝永度禁裏御所、東山院御所などの障壁画制作に加わり、法眼に叙された。

保守本流の狩野派ならではの画題を描きながら、金地濃彩の華やかな作品には京都の絵師たちに通ずる特徴が見いだせる。掲載の「桜雉子・梅金鶏図屏風」は、探鯨が法橋に叙される42歳以前の作品として注目されている。

鶴沢探鯨(1687-1769)つるさわ・たんげい
貞享4年江戸生まれ。鶴沢探山の子。鶴沢派の二代目。名は守美。別号に幽皓がある。父探山より画法を受け、禁裏御用絵師をつとめた。享保13年法橋に、延享4年法眼に叙された。明和6年、83歳で死去した。

鶴沢探山(1655-1729)つるさわ・たんざん
明暦元年生まれ。鶴沢派の祖。名は守見、または良信、兼信。別号に幽泉、探春、探川などがある。狩野探幽に学び、元禄期頃に京都に移り禁裏御用絵師となった。元禄13年法橋に、享保9年法眼に叙された。享保14年、75歳で死去した。

京都(85)-画人伝・INDEX

文献:美のワンダーランド 十五人の京絵師、日本画家人名事典




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