画人伝・京都 人物画

三代にわたって同じ号を用いた山田道安

山田道安「鍾馗図」東京国立博物館蔵

山田道安「鍾馗図」東京国立博物館

山田道安は、洞が峠で聞こえた筒井順慶の一族で、画や彫刻にすぐれたという。道安の号は三代にわたって用いたとされるが、作品のうえからは初代と二代の二人らしく、いずれも鐘馗の絵を得意とし、ほかに山水、花鳥、人物などの作品も残している。

『本朝画史』によると、初代道安は、周文雪舟を師とし、宋画を学んでその画風を伝えたという。彫刻の技にも巧みだったらしく、永禄10年の松永久秀の乱で東大寺の大仏の首が焼け落ちた時、元禄の大修理に先立ち、私財を投げ打ってこれを修理したことが知られている。また、興福寺には道安が彫刻したという華原馨を打つ婆羅門像(伝妙幢菩薩)も残っている。

山田道安「臨済栽松図」東京藝術大学蔵

山田道安「臨済栽松図」東京藝術大学蔵

山田道安(初代)(不明-1573)やまだ・どうあん
戦国時代の武人画家。大和国山辺郡山田村の岩掛城主。名は順貞。飛鳥井雅縁の子で山田氏を継いだ。筒井慶順の一族。画名は二代順定、三代順知と三代にわたって継がれた。天正元年死去した。

京都(33)-画人伝・INDEX

文献:本朝画史、原色日本の美術11




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