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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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頼山陽の美濃訪問と江馬細香

2022/8/16  

文化年間、京都ではひとつの文化人グループが文墨界を牛耳っていた。その中心にいたのが漢詩人であり思想家の頼山陽である。山陽の周辺には、画家、文人、医師、僧侶など多くの教養人が集まり、一種のサロンを形成し ...

美濃の南蘋派

2022/8/15  

中国の画家・沈南蘋によって長崎にもたらされた写実的な画法は、当時の画家たちに新鮮な驚きをもって迎えられ、弟子の熊代熊斐(1712-1772)を経て、江戸、大坂、京都などの画家に伝えられ、のちに南蘋派と ...

南画の衰退、そして近代日本画へ

2024/12/30  

近世尾張画壇の特徴としては、画を学ぶ者の多くがその場を京都に求めたことにある。牧墨僊のように江戸詰めの尾張藩士は江戸で師を見出すことはあったが、彭城百川、中林竹洞、山本梅逸、田中訥言ら著名な画家たちの ...

尾張の岸派、喜田華堂と門人

2024/12/30  

尾張の岸派では、喜田華堂、そのあとを継いだ中島有年らがいる。喜田華堂(1802-1879)は岐阜県不破郡今須村に生まれ、若くして京都に出て岸駒、岸良に学んだ。20年にわたり東国を遊歴して各地の名勝を写 ...

尾張の四条派、張月樵の門人

2024/12/30  

呉春に四条派を学んだ張月樵(1772-1832)は、彦根に生まれ、名古屋に来て活躍した。南画の山田宮常の画才を慕い、四条派系でありながら南画系の画家たちと交流し、合作も多く残している。活躍期は中林竹洞 ...

名古屋四条派、松村景文の系譜

2024/12/30  

呉春の異母弟である松村景文に師事し四条派を修めた名古屋の画家としては、立松義寅、浅井星洲、小栗伯圭らがいる。かれらの系譜もまた、四条派特有の写実性を生かした抒情的な表現で世に受け入れられた。 立松義寅 ...

名古屋四条派、野村玉渓の流れを汲む門人たち

2024/12/30  

野村玉渓の門は多くの有能な門人を輩出し、さらにその弟子たちも多くの四条派の画家を育てた。とくに松吉樵渓、鷲見春岳、奥村石蘭らの門人たちは明治に入ってから内国絵画共進会をはじめ各地の展覧会に積極的に出品 ...

名古屋四条派の祖・野村玉渓

2022/8/12  

尾張における四条派は、必ずしも表立ったものではなかったが、写実的で温厚な画風は、浅く広く受け入れられ、多くの画家に影響をあたえた。 円山応挙に師事した人物としては、名古屋の味噌商の家に生まれた月僊(1 ...

尾張の浮世絵、牧墨僊を軸に展開

2024/12/30  

尾張地方の浮世絵は、すでに19世紀初頭に、駒新こと駒屋新兵衛が劇場の看板絵を描いたりしていたが、文化年間、葛飾北斎が二度にわたって、いずれも長期間名古屋に滞在したことによって、飛躍的な展開を見せる。北 ...

尾張の復古大和絵派、森村冝稲とその門人

2024/12/30  

尾張の復古大和絵派は、祖とされる田中訥言、それを受け継いだ渡辺清、森高雅、さらに日比野白圭、木村金秋らに続き、森村冝稲とその門人たちによって引き継がれた。 森村冝稲(1871-1938)もりむら・よし ...

尾張の復古大和絵派、日比野白圭・木村金秋の門人たち

2024/12/30  

森高雅の門人の中でも多くの弟子を育てたのが、日比野白圭(1825-1914)と木村金秋(1833-1917)である。白圭は、はじめ竹田景甫に学び、ついで鈴村景山の門に入り、さらに森高雅に従って土佐派を ...

尾張の復古大和絵派、森高雅の門人たち

2024/12/30  

尾張において渡辺清とともに土佐派を広めたのが森高雅(1791-1864)である。高雅ははじめ吉川一渓に狩野派を、ついで中林竹洞に南画を学び、さらに喜多川歌麿(参考)・葛飾北斎(参考)に師事した牧墨僊に ...

復古大和絵派の祖・田中訥言

2024/12/30  

江戸時代後期、平安時代以来の伝統を持つ大和絵の古典を学び、大和絵を復興しようとした画家たちを、後の時代に「復古大和絵派」と称した。その先駆者が尾張出身の田中訥言である。 田中訥言(1767-1823) ...

尾張南画の歳寒三友、竹洞、梅逸、そして伊豆原麻谷

2024/12/30  

竹洞、梅逸と並び称され、尾張南画の「歳寒三友」の一人とされた「松谷」こと伊豆原麻谷であるが、その経歴に不明な点は多い。三河の農村に生まれ、僧侶になるはずが画の道に入り、当時最先端だった長崎で修業。京都 ...

尾張南画の全盛・山本梅逸の門人たち

2024/12/30  

郷里に帰る中林竹洞と別れ、全国各地の遊歴の旅に出た山本梅逸は、京都から大坂、山陽、四国とめぐり、さらに北陸へと足を延ばし、いったん名古屋に戻ったあとは、江戸に姿を現すなど、再上洛するまで名古屋を拠点に ...

尾張南画の全盛、中林竹洞・山本梅逸の登場

2024/12/30  

神谷天遊ら大パトロンの存在により相当量の中国画が尾張の地に蓄積され、画家の研鑚の場も充実、画壇が活況を呈する条件が整えられていった。こうした時代にこの地で若い時期を過ごした中林竹洞、山本梅逸は、まさに ...

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昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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