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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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新着記事

徳島藩御用絵師の系譜・佐々木家

2025/4/14  

江戸時代になると世情も落ち着き、町絵師も多く出たが、徳島藩・蜂須賀家は将軍家にならい狩野派の画人を御用絵師とした。御用絵師の家系で最も古いのは佐々木家で、元禄頃に始まったとみられる。佐々木家については ...

阿波で最も古い画人

2022/8/20  

記録的に阿波で最も古い画人は、臨済宗の僧・周崇(1345-1423)である。破墨山水や人物画に優れていたという。また、阿波細川家当主の細川成之(1434-1511)も画人として名を残している。雪舟の門 ...

紀伊の近代・日高昌克ら個性的な画家を輩出

2025/3/26  

徳川御三家として栄えた紀伊の地では、紀伊狩野を中心とした御用絵師の系譜が長く続いたが、従来の絵画に飽きたらず新しい表現を探った儒者・祇園南海らを始祖とした南画家の登場や、様々な師系や独修の画家たちが活 ...

紀伊の円山・四条派

2025/3/26  

紀伊の円山・四条派としては、松村景文の門人である鎌田景麟(1808-1864)、景麟に学んだ塩谷景山(不明-不明)、挿図を多く描いた塩路鶴堂らがいる。また、月僊の門に学んだ森月航(不明-1814)も、 ...

紀伊の大和絵師・岩瀬広隆

2022/8/19  

岩瀬広隆は京都で生まれ、20代前半には「菱川清春」の名で、菱川師宣五代目を自称し、多くの版本挿画を手掛ける浮世絵師として京都で活躍した。若くして才能を開花させた広隆は、天保年間に『紀伊国名所図会』の挿 ...

紀伊の南画家たち

2025/3/26  

紀州三大南画家である祇園南海、桑山玉洲、野呂介石を輩出した紀伊には、その門人の他にもさまざまな師系の南画家が活躍した。大江龍眠の実弟で小田海僊に師事した大江霞岳、本草学者で南画をよくした坂本浩雪、『小 ...

野際白雪と門人たち

2022/8/19  

野呂介石の高弟で、紀伊藩のお抱え絵師を務めた野際白雪(1773-1849)は、介石に学びながらも、南画だけでなく、狩野派や四条派風の花鳥画も学んだようで、研究熱心で画域が広かった。また、多くの門人を育 ...

野呂介石の門人たち

2022/8/19  

池大雅の高弟として全国的に名前を知られるようになった野呂介石のもとには、各地から多くの文人たちが訪れてきた。その中には田能村竹田や頼山陽など次世代の南画壇を担う画家たちも含まれていた。また、紀伊でも多 ...

最も古い赤富士図を描いた画家・野呂介石

2022/8/19  

紀州三大南画家のひとりである野呂介石(1747-1828)は、鶴亭と池大雅に学び、木村兼葭堂ら関西の文人たちと交流して才能を開花させていった。同じ紀州三大南画家のひとりである一歳年長の桑山玉洲(174 ...

紀州三大南画家・桑山玉洲の画業と画論

2022/8/19  

紀州三大南画家のひとり、桑山玉洲(1746-1799)は、若くして実業家として成功し、生涯を紀伊の地で過ごした。事業のからわら画法を研究し、理想郷を描いた山水画や真景図など多くの作品を残している。また ...

日本南画の祖・祇園南海

2022/8/19  

紀伊の儒者・祇園南海(1676-1751)は、「詩画一致」の思想を打ち立て、高度な教養に裏打ちされた、画、書、詩が渾然一体となった作品を創出し、彭城百川(1697-1752)、柳沢淇園(1703-17 ...

狩野派から南画へ・笹川遊原と門人たち

2025/3/26  

狩野派の画人の中には、諸派の画風を取り入れながら画技を模索するものも出てきた。養父である二代笹川遊泉の後を継ぎ、紀伊藩の御絵師をつとめた笹川遊原(1828-1881)は、壮年の頃は純然とした狩野派だっ ...

紀南田辺の狩野派・真砂幽泉

2022/8/19  

紀南田辺で活躍した狩野派の画人としては、真砂幽泉がいる。近世の田辺では、医者や学者らが余技として画を描くものはいたが、師系のはっきりした画人としては幽泉のほかはみあたらない。幽泉は、十代の頃、京都の鶴 ...

紀伊の狩野派の画人たち

2022/8/23  

紀伊藩に仕えた狩野派としては、岩井泉流のように江戸紀伊藩に仕えたものと、和歌山の紀伊藩に仕えたものがいた。江戸の木挽町狩野の流れを組む画人としては、山本養和、堀端養恒らがいる、堀端養恒の門人らもその流 ...

紀伊の狩野派・岩井泉流

2022/8/23  

岩井泉流は、江戸で活躍した紀伊藩の狩野派の画家で、師系は定かではないが、江戸木挽町に関わりがあったとみられる。紀伊藩のお抱え絵師だったが、解雇され、大坂の堺での町絵師を経て、また紀伊藩に戻ったという経 ...

狩野興以にはじまる紀伊狩野の系譜

2022/8/18  

紀伊国における狩野派の系譜は、狩野光信に師事した狩野興以(不明-1636)がはじまりとされる。興以は師である光信の没後、光信の弟・孝信の子である探幽、尚信、安信の三兄弟を教育し大成させたことにより、狩 ...

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昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

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