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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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新着記事

近世前期の広島画壇で主流として活躍した雲谷派

2021/7/9  

近世前期の広島画壇の主流は、毛利氏・福島氏に仕えた雲谷派だった。雲谷派の祖である雲谷等顔(1547-1618)は、雪舟や雪舟系の作風を学び、雪舟三代を標榜した。文禄2年、毛利輝元の命で雪舟の「山水長巻 ...

美人画の竹久夢二と異色の挿絵画家・細木原青起

2024/12/11  

岡山出身の画家をみていくと、室町水墨画の最高峰・雪舟、画才も発揮した剣豪・宮本武蔵、近世南画の巨星・浦上玉堂、現在も続く四条派の源流ともいえる岡本豊彦など、錚々たる重要人物がおり、近代に入っても小野竹 ...

日本近代洋画の発展に大きく寄与した岡山の先駆的洋画家たち

2024/12/11  

日本近代洋画の軌跡をたどると、岡山出身の洋画家たちが大きく関与していることがわかる。松岡寿、原田直次郎は日本最初の洋画団体「日本美術会」の結成に参加するなど、黎明期の中央洋画壇で指導者的役割を果たした ...

岡山の近代洋画、松岡寿と原田直次郎

2024/12/14  

幕末から明治初期にかけて洋画塾が多く開設され、岡山出身の洋画家としては、川上冬崖の聴香読画館で学んだ松岡寿(1862-1944)、高橋由一の天絵学舎で学んだ原田直次郎(1863-1899)、五姓田芳柳 ...

岡山洋画の先駆者、堀和平と前田吉彦

2021/7/9  

明治以降、岡山からは日本の近代洋画史において重要な仕事をした多くの洋画家を輩出している。その中で先駆者とされるのが、堀和平(1841-1892)と前田吉彦(1849-1904)である。菅原道真公を写実 ...

東京に出て学んだ岡山の日本画家

2025/4/3  

岡山の日本画家は京都で学ぶものが多かったが、伝統的絵画の革新が急速に行なわれた東京に出て学ぶものもいた。富岡永洗、鏑木清方に師事して江戸期の歴史風俗に取材した美人画を多く描いた大林千萬樹(1887-1 ...

京都で学んだ岡山の日本画家

2021/7/9  

小野竹喬(1889-1979)、池田遙邨(1895-1988)に代表される岡山の京都派だが、ほかにも石井金陵に南画を学び、のちに京都に出て山元春挙に師事した高橋秋華(1878-1952)や歴史画を得意 ...

浪華の美人画家・上島鳳山

2024/12/11  

小田郡笠岡村の辻家に生まれ、大阪の上島家を継いだ上島鳳山(1876-1920)は、円山派の西山完瑛らに師事し、動物画や美人画を得意とした。酒を愛する豪放磊落な性格で、身近にいた北野恒富(1880-19 ...

小野竹喬、池田遙邨ら、栖鳳門下の岡山の日本画家たち

2021/7/25  

四条派は岡山出身の岡本豊彦の画系を中核に発展した。豊彦の門人である塩川文麟、さらにその門人の幸野楳嶺と続き、楳嶺のあとを受け、明治30年代以降の京都の指導者として君臨したのは楳嶺門下の竹内栖鳳だった。 ...

慈善社会事業家としても活躍した南画家・津田白印と門人

2021/7/9  

備中笠岡の浄土真宗の僧侶・津田白印(1862-1946)は、長崎派の鉄翁祖門の高弟・成富椿屋に南画を学び、南画家として活動するとともに、慈善社会事業家としても活躍した。明治24年、白印は本派本願寺なら ...

岡山の近代南画家、河合栗邨と門人

2021/7/9  

浅口郡西阿知村生まれの河合栗邨(1851-1908)は、小野竹喬の祖父である白神澹庵(1825-1888)に南画を学び、のちに井原に栗邨画房を開いて郷土の画家を指導した。そのためこの地方に南画が広まっ ...

岡山の近代南画家、柚木玉邨と久我小年

2021/7/9  

浅口郡玉島の旧家に生まれた柚木玉邨(1865-1943)は、東京帝国大学農学部卒業後、多くの会社や銀行の重役をつとめ、岡山県農業会で幹事兼技師として働くなど、地元の経済界に大きな足跡を残した。また、若 ...

岡山の近代南画家、石井金陵・衣笠豪谷・波多野華涯

2025/3/6  

上道郡金岡村(岡山市西天寺)に生まれた石井金陵(1842-1926)は、古市金峨や岡本秋暉に学んだのち、岡山市岩田町に画塾を開き多くの門下生を教え、その後、大阪に移り、関西南画壇の長老として活躍した。 ...

岡山の岸派・矢部楳山

2021/7/9  

岡山の岸派としては、玉島に寄寓していた岸派の画人・関石城に学んだ矢部楳山(1849-1911)と小野竹下(1845-1897)がいる。楳山はさらに京都に出て岸連山に師事しており、同門に林玉峰(1830 ...

四条派から南画に転じた白神暭々と門人

2021/7/9  

柴田義董の代表的門人として、終始文人的な作画態度を保持し、晩年には南画に転じた白神暭々(1777-1857)がいる。暭々は、窪屋郡中島村の豪農の家に生まれ、10歳前後で近くに住む黒田綾山の門に入って南 ...

岡山の四条派普及に大きく貢献した古市金峨と門人たち

2021/7/9  

岡本豊彦の内弟子として学んだ古市金峨(1805-1880)は、岡山の四条派普及に大きく貢献した。金峨は児島郡尾原村(倉敷市)に生まれ、17、8歳の時に京都に出て岡本豊彦の門に入った。生家の紺屋にちなん ...

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昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

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