• ホーム
  • 当サイトについて
  • 画人伝・INDEX
  • 画家ジャンル別
  • 画風・モチーフ別
  • お問い合わせフォーム

UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

  • 今月の注目画人
  • 江戸以前の画家
  • 物故日本画家
  • UAG美人画研究室

新着記事

近代大和絵の黎明期を担った川辺御楯

2021/7/8  

筑後国山門郡柳川上町(現在の柳川市)に生まれた川辺御楯(1838-1905)は、守住貫魚、山名貫義、川崎千虎らと共に近代大和絵の黎明期を担った、明治初期を代表する大和絵歴史画家として知られている。しか ...

福岡南画壇の育ての親と称される中西耕石

2021/7/8  

福岡県の近代南画の先駆者としては、福岡南画壇の生みの親とも育ての親とも称される中西耕石(1807-1884)が挙げられる。耕石は、遠賀川河口の貿易港として江戸時代に栄えた芦屋に生まれ、京都で松村景文に ...

江戸後期の筑前四大画家

2021/7/6  

江戸後期、狩野派の御用絵師たちが粉本主義に陥り、精彩を失っていくなか、筑前画壇では町絵師たちが独自の画業を展開していた。なかでも元秋月藩御用絵師でのちに大宰府で町絵師として活躍した斎藤秋圃、藩から召し ...

大宰府画壇を盛り上げた吉嗣家と萱島家

2021/7/8  

天満宮の門前町として栄えた大宰府は、昔から文人墨客が往来し賑わいを見せていた。文政9年には秋月藩御用絵師を退いた斎藤秋圃が大宰府に移り住み、自由な町絵師として活躍した。秋圃の描いた絵馬は、大宰府、筑紫 ...

筑前秋月藩御用絵師・斎藤秋圃と門人

2021/7/6  

筑前秋月藩の御用絵師・斎藤秋圃(1769-1861)は、京都に生まれ、円山応挙に学び、応挙没後は森狙仙に師事したと伝えられる。大坂時代の秋圃は、新町遊郭の風俗を題材とした「葵氏艶譜」の刊行などで知られ ...

豊前小倉藩御用絵師・高木豊水と小倉の町絵師

2021/7/9  

小倉藩の御用絵師に関しては、残された史料が乏しく、存在さえも断片的にしか追跡できていない。記録に残るもっとも古い小倉藩御用絵師は、雲谷等益の門人で萩藩の絵師だった黒川等育で、小倉藩二代藩主・小笠原忠雄 ...

筑後柳河藩御用絵師・梅沢晴峩と北島勝永

2021/7/6  

柳河藩においては、江戸初期から中期にかけての文書や書画類が多く焼失しており、御用絵師の存在を確認できるのは江戸後期になってからである。それ以前の柳河藩には、福岡藩の尾形家や久留米藩の三谷家のように代々 ...

雲谷派が祖となった筑後久留米藩御用絵師・三谷家

2021/7/24  

安芸国広島に生まれた雲谷派の三谷等哲(不明-1630)は、主家の断絶とともに浪人となり、子の等悦とともに筑後の久留米に移住した。久留米藩二代藩主・有馬忠頼は、等哲・等悦父子の人格技量を認め、等哲没後に ...

福岡藩御用絵師・衣笠家と上田家

2021/7/6  

福岡藩御用絵師筆頭の尾形家が、藩主画像や城郭殿舎の内部絵付、席画や寺社の寄進画の制作などを主な仕事にしていたのに比べ、次席に位置する衣笠家が藩主画像や席画の御用にあたった形跡はほとんどなく、絵図の御用 ...

福岡藩御用絵師尾形家の絵師

2021/7/14  

尾形家は、6代洞谷(1753-1817)の代になって、師家を鍛冶橋狩野家から駿河台狩野家に変更した。また、姓を公式に小方から尾形に改めたのも洞谷の代だった。7代の洞霄(1791-1863)は駿河台狩野 ...

狩野探幽門下四天王と称された尾形家2代守義と狩野姓を許された3代守房

2021/7/24  

福岡藩の御用絵師はすべて狩野派で、尾形家、衣笠家、上田家の3家が代々世襲で家督を継いだ。他にも、熊本氏、小森氏、佐伯氏、笠間氏など一代限りまたは随時に抱えられたと思われる絵師も少なくない。最も高禄だっ ...

筑前福岡藩御用絵師となった狩野宗家中橋家の狩野昌運

2021/7/6  

狩野宗家中橋家で組織の確認と整備を図り、宗家の大番頭と称されていた狩野昌運(1637-1702)は、筑前福岡藩の第4代藩主・黒田綱政に招かれ、晩年の10年余りを福岡藩御用絵師として過ごした。絵師のなか ...

写実理論を作品と執筆の両面から確立しようとした前田寛治

2024/12/14  

鳥取県中部の中北条村国坂の農家の二男として生まれた前田寛治(1896-1930)は、倉吉中学を卒業後、東京美術学校を卒業して倉吉中学に赴任したばかりの中井金三の勧めもあって画家を志し、上京して東京美術 ...

鳥取の近代的文化運動の中核となって活動した中井金三と砂丘社

2021/7/9  

明治末期から大正にかけて、東京美術学校で学んだ新進気鋭の指導者たちが、鳥取中学、師範学校、倉吉中学に着任し、広く洋画が普及していった。さらに、大正末期から昭和初期になると、美術だけでなく芸術全般の活動 ...

森岡柳蔵ら東京で学んだ鳥取出身の洋画家

2024/12/14  

遠藤董が伝えた油絵の技法や新しい洋画の思想によって、鳥取県の洋画界はしだいに活気を帯び、上京して美術を学ぶものも出てきた。森岡柳蔵(1878-1961)は明治31年に上京、黒田清輝の主宰する天真道場( ...

鳥取にはじめて本格的な油絵を伝えた郷土教育の父・遠藤董

2021/7/9  

鳥取県にはじめて本格的な油絵を伝えたのは、のちに「鳥取の郷土教育の父」と称される遠藤董(1853-1945)である。遠藤は、狩野派の藩絵師・根本雪峨に学んだのち、東京に出て高橋由一の画塾「天絵社」に入 ...

« Prev 1 … 68 69 70 71 72 … 90 Next »




カテゴリー

サイト内検索

関連サイト

湯上がり美術談義
UAG美人画研究室
UAG美術家資料棚

人気記事

  • 鳥取藩御用絵師・沖一峨と沖家鳥取01沖一峨
  • 名古屋四条派、野村玉渓の流れを汲む門人たち17尾張02
  • 下野国栃木の豪商との親交のなかで肉筆画の代表作「雪月花」を描いた喜多川歌麿11喜多川歌麿02
  • 東三河における小華門(1)05渡辺小華02
  • 丸木位里・俊が描いた「沖縄戦の図」沖縄戦
  • 尾張南画の草創期05丹羽嘉言02
  • 奄美大島に没した田中一村の話30田中一村02
  • 尾張南画の変質期06山田宮常02
  • 名所図会絵師として名を高めた長谷川雪旦と唐津藩06長谷川雪旦04
  • 大正初期の美人画作家・栗原玉葉と長崎ゆかりの日本画家22栗原玉葉02

おすすめ記事

1
能登が生んだ桃山時代を代表する画家・長谷川等伯

長谷川等伯(1539-1610)は、能登国七尾(現在の石川県七尾市)の能登七尾城主畠山氏の家臣・奥村家に生まれ、のちに縁戚で染物業を営む長谷川家の養子となった。雪舟系画人の等春に学んだとされる養父・宗 ...

2
奄美大島に没した田中一村の話

昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

3
新しい日本画を追求して近代日本画壇を牽引した横山大観

横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

4
妖艶で頽廃美漂う画風を展開し、画壇の悪魔派と呼ばれた北野恒富

北野恒富(1880-1947)は、金沢市に生まれ、小学校卒業後に新聞の版下を彫る彫刻師をしていたが、画家を志して17歳の時に大阪に出て、金沢出身で歌川派の流れを汲む浮世絵師・稲野年恒に師事し、師と同様 ...

5
室町水墨画の最高峰・雪舟

岡山の画家として最初に名前が出るのは、室町水墨画壇の最高峰に位置する雪舟等楊(1420-1506)である。狩野永納によって編纂された『本朝画史』によると、雪舟の生誕地は備中赤浜(現在の総社市赤浜)で、 ...

  • ホーム
  • 当サイトについて
  • 画人伝・INDEX
  • 画家ジャンル別
  • 画風・モチーフ別
  • お問い合わせフォーム

UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

© 2025 UAG美術家研究所